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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2010年09月22日

【読み物】バーンズ美術館

タイトル

 フィラデルフィアの郊外に豊かな緑に囲まれた小さな町メリオンがある。抗炎症剤、医療用の消毒薬アジロールの製造で巨万の富を築き、その富を美術作品の蒐集に投じたアルバート・バーンズが1923年に財団美術館を建てた町である。彼が志向したのは美術作品の蒐集だけではない。一般大衆や子供たちへの美術教育であった。正確にいえば美術を通しての社会教育であり、啓蒙活動でもあった。
そもそもバーンズ財団美術館は学校として建てられたのである。美術館は教室であり、彼の作品コレクションは教材であった。だから、創設以来70年間、コレクションを一般に公開することもなかったし、貸し出しをすることもなかった。バーンズの真意を測ることは出来ないが、人種や階級差別、貧富の差など20世紀初頭のアメリカ社会を考えると、美術に対する理解、芸術や文化の価値への認識は非常に乏しいものであったと想像される。バーンズにはそうした社会環境や人間の情操を美術を通して変革したいという熱い思いがあったかも知れない。

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[写真左:スーラ「ポーズする女」] [写真右:セザンヌ「カード遊びをする男たち」]

名画が並ぶ壮大なコレクション

 さて、いずれにしてもバーンズ美術館は19、20世紀の絵画を中心に2500点を収蔵する世界最大の個人コレクションである。特に181点のルノワール、69点のセザンヌ、59点のマティス、46点のピカソを始め、アンリ・ルッソー、ゴーギャン、ゴッホ、マネ、モネ、ユトリロ、モジリアニなどのほか、ゴヤやグレコ、さらにエジプト、ギリシア、ローマの古代美術からアメリカ装飾アート、アフリカ美術までコレクションの幅も広い。しかし、バーンズの価値はその点数にあるのではない。その収蔵作品の桁違いの質にある。つまり名作がズラリと揃うのである。オークションにかければ、250億ドル(2兆数千億円)といわれる途方も無い金額のコレクションである。「ダンス」をはじめとして値段が付けられないものもあるだろう。
 美術館の中に入ると、無造作とも思えるほどに所狭しと壁面一杯に作品がかけられている。その1点、1点が貴重な作品なのである。入ってすぐのホールの中央壁面にセザンヌの「カード遊びをする男たち」、スーラの「ポーズする女」の大作が見学者を出迎える。シチューキンがマティスに描かせた「ダンス」を、バーンズはそのホールの壁面いっぱいに描かせた。そしてフォーヴィスム誕生を告げるマティスの「生きる悦び」が階段の踊り場にかけられている。
 セザンヌは1890年頃「カード遊びをする男たち」のテーマの作品を数点描いた。
 登場する人物は、2人、4人、5人と様々である。代表的な作品はオルセーやコートールド、個人蔵の3点の2人、メトロポリタンの4人の作品であるが、バーンズの登場人物は5人と最も多い。3人の男が座って、無表情でカード遊びをしている。1人の男は立って、そのプレイを見つめている。そして、傍らに、男の子供らしき一人の少女が座ってじっと眺めている。バーンズの作品は最大で登場人物も多い。
恐らく、バーンズの作品は最初の作品で、その後、セザンヌは4人、2人と人数をへらし、凝縮していったのではなかろうか。スーラの「ポーズする女」は点描画の集大成ともいうべき、シカゴ美術館にあるスーラの不朽の名作「グランジャット島の日曜日の午後」の完成直後に描いた作品で、それを誇らしげに背景に使ったスーラの傑作である。スーラは「グランジャット島の日曜日の午後」を発表した時、「外の風
景は点描で描けても、人間の肌は点描では描けまい」と批評され、「グランジャット島」の絵を背景に裸婦を点描で描いて見返したという逸話が残る。そして、マティスの「生きる悦び」は1905〜6年に描いたフォーヴィスム誕生を告げるマティスの原点となる作品である。マティス独特の柔らかで力強い線、フォーヴの豊かな色彩、そして、この後描き続ける「ダンス」の原型も画面上に登場する。

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[写真左:マティス「生きる悦び」] [写真右:バーンズ財団美術館の庭]

 そしてまた、1906年はピカソがキュービスム前夜の有名な作品「ガートルード・シュタインの肖像」を描いた年でもあり、1906年、1907年はまさに20世紀絵画の曙の年となった。
 マティスとピカソを会わせ、その数年後にバーンズと二人の巨匠を結びつけた人物、その人物こそピカソが描いた「モダニスムの女傑」ガートルード・シュタインであった。ガートルード・シュタインは米国の富裕な商家に生まれたユダヤ系のアメリカ人である。兄のレオの住むパリに移り、その生涯をフランスで送った著名な女流作家、詩人であるが、新しい芸術の旗手であり、新しい芸術家たちのパトロン的存在でもあった。1912年はバーンズが美術品の蒐集を始めた年であるが、蒐集にあたり、彼をアシストしたのは、ハイスクールの友人で、画家であったウィリアム・グラッケンであった。グラッケンはパリにいたシュタイン兄妹を訪ね、ゴッホの「郵便配達夫ルーラン」、ピカソの「タバコを持つ女」など20数点を持ち帰った。さらに続いて印象派作品、マティスの「コリウールの海」などを購入した。1912年はバーンズが初めてマティスとピカソの作品に出会った年である。そしてバーンズ自身もパリを訪れ、蒐集活動は堰を切ったように始まった。

さよなら バーンズ美術館

 さて、バーンズはメリオンの果樹園を買取り、そこに1923年に古典様式の財団美術館を建てた。もともと果樹園であったので緑豊かな木々をバーンズは残している。展示は時代別でも作家別でもない、一見無造作に並べられた作品展示も「この展示方法を変えてはいけない」とバーンズが生前に言い残したままである。展示の仕方も彼の芸術への感性であるが、展示を注視すれば彼の意図を読み取ることはさほど困難ではない。たとえば「カード遊びをする男たち」と「ポーズする女」を上下に並べたのは、カード遊びをする3人の男たちとポーズをとる3人のそれぞれ正面と左右横向きの2人の三角形の構図によるものであろうし、ルノワールの「浴女」を囲む作品群も同様に正面の方形の「浴女」に左右にはそれぞれ横向きの女性、上には「横たわる裸婦」があり、空間的なバランスを考慮したものであろう。

 しかし、とうとうバーンズが残した美術館も幕を閉じる時がやってきた。建物も90年経ち、老朽化し、また膨大な所蔵作品を展示するには余りにもスペースが足りない。そこで2012年にオープン予定のフィラデルフィア市中の新しい美術館に移転することが決定している。既に一部の部屋の作品は移転に備えて取り外されている。そしていよいよ来春には90年間続いたこの美術館は閉鎖される。新美術館がオープンまで約1年半の間、バーンズの珠玉のコレクションを我々は眼にすることは出来ない。また、それ以上にバーンズの作品蒐集の情熱の証しであるこの美術館で二度とあの名画を見ることが出来ないのはなんとも名残り惜しい限りである。

 残された時間はあと僅か。サヨナラ、バーンズ美術館。     (間邊恒夫)

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美の旅・特別企画さよなら バーンズ美術館 米国東部の名画を訪ねて 9日間

投稿:朝日インタラクティブ