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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2012年09月20日

急坂を喘ぎ登る国家『ミャンマー』 大野 徹(大阪外国語大学名誉教授)

〔本稿は会員誌『旅なかま』2013年10月号に掲載されたものです〕
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微笑みの国から・・・ 急坂を喘ぎ登る国家『ミャンマー』 大野 徹(大阪外国語大学名誉教授)

ミャンマー最大の都市「ヤンゴン」

民主化へと舵を切った軍事政権が中部地方のピンマナーへと首都機能を移転させるまで、外国人には「ラングーン」という名で知られていたこの都市は、名目的にも実質的にも独立国家ビルマの首都であった。政治の中心地がピンマナーへ移った後も、「ヤンゴン」は『ミャンマー』と改名したこの国最大の都市であり、最大の物資集散地である事実に変わりはない。そこでは国内総人口の10パーセントを超える人々が生活し、活気溢れる日常が垣間見られる。青空市場には国内各地から持込まれた米や野菜、マンゴー、ドリアンといった熱帯果物、肉類、鮮魚と言った生鮮食料品が溢れ、客引きが張上げる声と値切る買物客の肉声とが空間を飛び交う。
首都移転のメリットの一つに、人口の一極集中の回避がある。首都圏の人口だけが異常に膨張し農村が疲弊していくという構図は世界的に共通する現象だが、ミャンマーの場合は、賢明にもその愚を事前に回避したという事になるのかも知れない。

美しい衣を着て托鉢をする尼僧

国民の間に浸透する仏教文化

ミャンマー国民の8割までは仏教徒だと報告されている。ヤンゴンで最も有名は仏塔シェダゴンは、日曜日や仏教の祭日になると参拝の市民達で一杯になる。そこでは仏像や仏塔の前に跪いて熱心に祈りを捧げる人々の姿が見られる。この国で信仰されている仏教は、タイやラオスと同じ南方上座部仏教である。人の世は無常であり、人間が苦悩から解説するには仏の正しい教えを実践する他にないと信じる人々は、自分自身仏門に入って修行したり、わが子を仏門に入れたりする事に今でも大きな喜びを感じる。
出家と在家信者との違いは、専ら戒律の数にある。出家が227条の戒律を厳格に護持するのに対し、在家は、殺さない、盗まない、嘘をつかない、飲酒しない、邪な姦淫をしないという五戒を守るだけである。頭を剃り薄桃色の衣をまとった女性の姿もしばしば見受けられるが、彼女達はビルマ語でメートウドーとかティーラシン等と呼ばれる特殊な形態の在家女性で、正式の「比丘尼」ではない。

ミャンマー人の名前

ミャンマーの人名には、名前はあるが姓がない。軍政に対して民主化闘争を展開し続けノーベル平和賞を授与されたアウンサン・ス・チーの例で言えば、ス・チーが名前で、アウンサンは独立前に暗殺された彼女の父親の名前である。
ミャンマー人の命名法は、誕生日に因んで付けられる。ビルマ文字のアルファベットは33文字あるが、その33文字全てが各曜日に割り振られている。例えば、母音文字は日曜日、サ行音文字は火曜日と言うように。ス・チーの名前は、サ行音文字で始まるから火曜日生まれで、父親アウンサンは母音で始まるから日曜日生まれと言う事になる。

今も眠る天然資源

独立する前、半世紀以上に亙って英国の植民地であったこの国には、豊富な天然資源が手付かずのまま残されていた。当時の資料を見ると、輸出されていたのは、米を中心とする農産物、チーク、鉄木等の林産物、石油、銅、鉛、亜鉛、アンチモニー等の稀少鉱産物等である。開発は、太平洋戦争の勃発、国土の荒廃、外国資本や外国人出稼ぎ労働者の撤退、独立後勃発した共産党や少数民族による武装叛乱等によって大きく後退した。
戦後開始された日本の対ビルマ戦争賠償は、水力発電、港湾整備、自動車やバスの組立て、電気製品の製造等、この国の産業開発にそれなりの貢献は果たしたが、社会資本の整備、充実にまでは達していない。ミャンマーへの外国投資は、国際社会からの経済制裁で長く凍結されてきた。その間隙をぬって進出した中国資本も銅鉱山の開発では地元住民との間に深刻な対立を引き起こして問題となっている。

開発が急がれる社会インフラ

ヤンゴンには地下鉄がない。朝夕の通勤、通学時間の唯一の頼りはバスだが、そのバスも絶対数が不足している。どの停留所にも積み残されて憮然とした利用者の姿が見られる。地方を走るバスの状況はもっと深刻だ。人々は危険を承知で屋根の上まで占拠するのが日常茶飯事。根本原因は、大量輸送機関が未発達のまま放置されている事にある。
運送面でのもう一つの課題は道路だ。ヤンゴンと第二の都市マンダレーとを結ぶ幹線道路は、雨季に入れば水没して舗装が剥離し、緊急修理を余儀なくされる。年間降雨量が地域によっては4千ミリから5千ミリという高い数字を記録するこの国では、雨季の間の河川からの洪水で多くの人家が水没、逃げ場を失った家畜が大量に溺死したり小高い丘にひしめき合うという悲惨な事態は、エーヤーワデイー川下流の町村では決して珍しくない。
ミャンマーの国土を東西に二分する大河「エーヤーワデイー」には、マンダレーからザガインへと通じるアワ鉄橋を除いて、橋がない。最大の支流であるチンドウイン川にもない。この橋梁の絶対的不足は、国内地域間の経済交流を著しく阻害している。社会的インフラの整備は、この国では何より喫緊の課題だと言わざるをえない。

全てが茜色に染まり神秘的な印象となるメッティーラ湖

喘ぎながら登る険しい坂道

日本の1.8倍という広大な面積、未開発の天然資源、豊富な労働力、安価な人件費等、この国には開発の可能性が無限に秘められている。しかし、国民一人当たりの所得水準から世界最貧国の位置で呻吟してきたミャンマーには、開発を行う資本がない。経済制裁が解除されてからは、各国の使節団が続々とこの国を訪問し始めた。今後はこの国の開発を巡って先進各国の間で激しいせめぎ合いが続く事になるだろう。問題は、開発の成果をどう生かすかという事である。安い人件費に惹かれて工場を新設しても、労働者を新規採用当時の賃金のまま放置してはおけない。物価の上昇、労賃の引上げ要求、従業員のスト等が、進出企業を悩ませる日がいずれは訪れる。日本の企業がこれまでにアジア各国で味わってきた苦い経験である。投資した国々が成果を持ち帰るだけという事になれば、国民は大きな失望を味わう。ミャンマー国民の幸せは、国内総生産の拡大、一人当たり国民所得の増大、豊かな生活の実感にある。それまでは苦しい急坂が続く事を、だれもが覚悟しておかなければならないだろう。

家を修復する材料を積んで帰る。荷車も手作り
大野 徹先生 長崎県生れ。大阪外国語大学ビルマ語学科卒業。大阪外国語大学助手、講師を経て、1967 年コロンボ計画に基づく語学専門家としてビルマ国立ラングーン外国語大学に派遣され2年間日本語教育を担当。 1980年 大阪外国語大学教授 1989年 京都大学東南アジア研究センター教授(併任) 1992年 大阪外国語大学学生部長(併任) 2001 年 定年退官、同大学名誉教授。

写真提供:林喜一氏

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投稿:朝日インタラクティブ