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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2012年07月31日

旅なかま国内版創刊号 立田洋司先生『日本文化のアイデンティティと寧楽ルネッサンス』

〔本稿は会員誌『旅なかま 国内版』創刊号に掲載されたものです〕
無料でお送り致しますので、こちらのフォームからお申込みください。その際、「旅なかま国内版創刊号希望」とご記入下さい。なお、部数に限りがございますので、お早めにお申込みください。

奈良・大和路の秋
日本文化のアイデンティティと「寧楽ルネッサンス」 立田洋司

「比較文化研究」の視点から

長らく私が大学で講義してきている科目に「比較文化論(Comparative Culture)」があります。その講義の中で、学生に対してたとえば次のような質問をします。——「奈良の世界遺産のひとつである東大寺で大仏開眼の法会が行われていた頃、ヨーロッパの文化状況はどうだったか?」——これに対してある程度以上具体的な回答を得られたことは、少なくとも過去20年間では皆無でした。このことは、従来の日本の教育の中に「比較文化研究」という視点が決定的に欠けていたことを示唆しているように思われてなりません。
この時代のヨーロッパはいわゆる中世(The Middle Ages)で、文化的には暗黒時代 (The Dark Ages)と言われています。興味深いのは、この「中世」や「暗黒時代」という概念が日本史では基本的に当てはまらないということです。ルネッサンス時代に成立したこの言葉は、そもそも古代の輝かしい文化の時代(特にギリシアのクラシック時代)と古代文化復活の時代(ルネッサンス=再生)との間を意味したもので、元来かなり曖昧な概念です。この「中間の時代」は古代ローマ没落の4〜5世紀から以後千年も続き、その間に、古代の美術や音楽、演劇、文学、哲学や科学などが、ほとんど忘却の彼方に去っていったのでした。無論、古代文化は完全に消え去ったわけではなかったのですが、日本で奈良から京へと文化が受け継がれていった頃、何とか古代のソフィア(知恵)を保持しようとしていたビザンティン世界でさえ、「イコノクラスム(聖画像破壊運動)」に苦しみ、特に西ヨーロッパでは、その文化レベルは基本的に低い次元にとどまることになってしまったのです。

西洋の暗黒時代を補間する
日本の奈良・平安・鎌倉文化

一方日本では、この間に、世界的に見ても非常に高度な文化が積み重ねられていくのです。——シルク・ロードから伝わったオリエント文化も日本固有の文化と仏教文化との習合(シンクレティズム)によって荘厳され、壮大な都の造営から全国の寺社の建立、それに伴う美術・工芸・音楽の充実、文字と紙による思想・文学の発展などなど・・・。 たとえば、奈良時代肖像彫刻の傑作「鑑真像」は、そのころのヨーロッパには全く比肩されるものがなく、二月堂のお水取り(修弐会)は1300年前の中央アジア文化を今に伝える唯一無二の世界的文化遺産です。また千年前の日本女性=紫式部や清少納言たちは、西洋にまだ紙が無く「ローランの歌」さえも成立していなかった頃に極めて優れた文学作品を書き上げ、その約200年後の運慶や快慶もミケランジェロより350年も前に圧倒的な彫刻作品を制作していたのです。

実はここが重要なのですが、日本では従来、「西洋の自分史」をそのまま世界史として教えられてきた傾向が強く、そのため中高年層を中心に「ヨーロッパ・コンプレックス」が根強く残り、自国文化を誇り高くまた冷静に見る視点がいささか欠落していたように思われるのです。情報化が進み世界が狭くなったように見える今こそ、自分たちの文化的基盤を見つめ直し、悠久の人類文化をより深く吟味して自身のアイデンティティを高め、人生観や世界観に華を添えるときと言えるのではないでしょうか。

浮見堂 奈良市民の憩いの場

西洋の知識人が驚嘆した
北円堂の運慶彫刻

円が日本の通貨であることはほぼ世界中が認識していますが、円の意味が仏教思想の「完全無欠」にあることは、西洋人の知識外です。通貨の円は丸いが、日本建築における「円堂」が円くないのは何故?
——外国の知識人や研究者は、こうした日本文化のアイデンティティに目を見張ります。事実日本では、円の平面プランを持つ伝統的建造物は存在せず、法隆寺夢殿などの「八角円堂Octagonal Circular Shrine」が円堂の主流です。仏教文化における「8」の世界、たとえば曼荼羅における中台八葉院をはじめ八大菩薩や八大明王、また八音や八王日などは、実に一つの世界を象徴していたのです。

興福寺北円堂 国宝 鎌倉時代

こうした八角円堂の国宝建築が奈良には三つ存在します。夢殿と栄山寺、それに興福寺の北円堂です。なかでも北円堂は、ここを訪れた外国の研究者や知識人が非常に強い印象を受けるようです。北円堂は鎌倉時代に再建されたもので、その建築プランが基礎から内陣、框(かまち)座まですべて「八角」にしたがっています。内部には運慶の最晩年の作品が立ち並び、どこか小宇宙的な印象さえ漂っています。そうした雰囲気の中で彼らが特に注視するのは、無着像と世親像の二つの肖像彫刻なのです。ある研究者はこんなことを言いました。——「この無着と世親の二つの彫刻作品のみをもって、日本文化がルネッサンスのそれに決してひけを取っていなかったことが証明されるであろう・・・」。
北円堂を訪れる人は、未だそれほど多くはありません。ここが開帳される春と秋に、奈良・大和路の他の文化遺産を含めて見学することができれば、奈良の文化とともに日本文化の奥深さをあらためて実感することができるはずです。
最後に私の「比較文化研究」的な立場から一言。——鎌倉時代とは、鎌倉の文化時代と言うよりは、平安の時代を遡って奈良の文化が復活・再生した時代、謂わば「寧楽(なら)ルネッサンス」です。今の私の脳裏には想像ながら、若き日の運慶が東大寺三月堂の執金剛神像(12月16日のみ御開帳)や戒壇堂の四天王像を研究し、快慶が薬師寺の聖観音立像をつぶさに観察し、両人そろって現在木津の蟹満寺に鎮座する釈迦如来像を凝視している姿が焼き付いているのです。



(たつたようじ)

立田 洋司(たつた ようじ)氏 プロフィール

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投稿:朝日インタラクティブ