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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2014年11月19日

旅なかま11-12月号 マウリッツハイス美術館貸切見学に寄せて「黄金の17世紀」とオランダ絵画を語る

〔本稿は会員誌『旅なかま』2014年11-12月号に掲載されたものです〕

ご新規のお客様には見本誌を無料でお送り致しますので、こちらの資料請求からお申込みください。その際、「旅なかま11-12月号希望」とご記入ください。なお、部数に限りがございますので、お早めにお申込みください。

フェルメールの傑作「デルフトの眺望」(マウリッツハイス美術館)の写真 写真提供:オランダ政府観光局

2015年3月にハーグのマウリッツハイス美術館の貸切見学ツアーが決まりました。
マウリッツハイスと言えば、フェルメールやレンブラントといった「オランダ絵画」の殿堂として知られています。フェルメールやレンブラントを生んだ「黄金の17世紀」、その歴史的背景と絵画の魅力を、弊社「美の旅」元担当としてお馴染みの間辺恒夫が語ります。

オランダ独立

編集(以下編):オランダはスペインから独立すると同時に「黄金時代」を迎えたわけですが、そもそもなぜ、オランダがスペイン領だったのか、そのあたりからお聞かせください。

間辺(以下間):今のオランダベルギーのあたり、ネーデルランドはホラント伯やフランドル伯など貴族によって治められていた小国の連合で、ブルゴーニュ公国の領土でした。ブルゴーニュ公国は当時ヨーロッパで最も富める国の一つでしたが、その一人娘マリー・ド・ブルゴーニュが、神聖ローマ帝国のマクシミリアンと結婚して公国の領土はハプスブルク家に継承されます。これによってハプスブルク家は経済的基盤を得、世界帝国の礎を作ることができました。さらにスペイン王家との婚姻によってフランス、イングランドを除くヨーロッパの大半を支配する帝国になります。その後、ハプスブルク家はスペイン系、オーストリア系に分かれ、ネーデルランドはスペインの領土となり、フェリペ2世の統治下におかれます。これがオランダ独立前夜の情勢です。

編:まさに西欧史をたどる話ですね。ネーデルランドはスペイン統治下で、どういう状況だったのでしょう。ちょうど宗教改革(1517年)とそれに続く宗教戦争の時代です。

間:ご承知のようにスペインは最大のカトリック国家でした。おりしもヨーロッパは宗教戦争の真っただ中で、カトリック教会への批判、当時の政治の不満が渦巻いて、プロテスタントがアルプス以北に拡大していった。同じプロテスタントでもドイツを中心に広まっていたルター派は穏健であったけれども、スイス、フランス、ネーデルランド北部、スコットランドに広がっていたカルヴィン派は、急進的で、過激でした。つまりネーデルランド北部はスペインに対立するプロテスタントの地域だったのです。反面、南部、つまりフランドルはカトリックが多く、伝統的に毛織物産業が盛んで、アントワープやブルージュはネーデルランドの経済や交易の中心だった。

編:独立に至る経緯は?

間:最初はネーデルランド全体に独立の機運が高まり、17州連合の反乱が始まったわけですが、アントワープなど南部の都市はカトリック教徒が多かったということもあり、スペイン軍やカトリック教会派によって陥落してしまいます。それで、プロテスタントの商人たちがアムステルダムを中心に北部に移住して行きます。そうしてアムステルダムが第二のアントワープとして商業の中心になり、「東インド会社」などが設立され、世界の交易の拠点、独立の中心になっていくのです。結局、北部7州はプロテスタントの国家として独立し、現在のオランダとなり、南部はスペイン領ではあるものの大幅に自治権を拡大して、現在のベルギーとなります。こうして、オランダは世界の富を手にし、商人など中産階級による「黄金世紀」を迎えることになります。

17世紀、世界経済の中心であったアムステルダムの様子 写真提供:オランダ政府観光局
「黄金の17世紀」とオランダ絵画

編:それが「黄金の17世紀」ですね。それを体現するものが、今日の本題の「オランダ絵画」ですが、それは、ずばり?

間:一言でいえば、中産階級による、中産階級のための、中産階級の絵画であるといえます。教会のためのキリスト教絵画でも、王侯貴族のための肖像画でもない、いわゆる「風俗画」だと思う。プロテスタントだから教会を飾る豪華な祭壇画も要らないし、自宅で礼拝するための宗教画もない。だから、あくまでも市民の日常を描いた絵画です。街や小路の風景、真珠、額縁に入った絵画、世界地図、花など、当時の豊かなオランダ社会を象徴する品々を散りばめた室内の描写です。彼らは自分たちの富に溢れた黄金世紀を楽しむようにそうした日常生活を描かせたのではないかと思います。

花いっぱいの春のオランダ 写真提供:オランダ政府観光局

編:市民が大切にしている日常を描いたものが多いわけですね。

間:市民が「自分たちの生活を飾るために」絵を注文し、画家がそれに応える。そういう社会を、オランダが他の国に先駆けて実現した、それがオランダ絵画の歴史的意義だと思う。それによって後世の我々は、当時の中産階級以上の市民の生活がわかる。食事、衣服、生活。そう真珠も。

編:真珠といえば、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」ですね。

間:当時養殖はないわけで、ペルシャ湾で獲れた天然真珠しかなかった。その交易を独占していたのが、アムステルダムの商人なんです。あの絵には、それがさりげなくあらわされている。残念ながら、当時はガラス玉に色を塗ったイミテーションもあったそうなので、あの真珠が本物かどうかはわかりませんが(笑)。

マウリッツハイス美術館の至宝「真珠の耳飾りの少女」 写真提供:オランダ政府観光局
フェルメールを語る

編:フェルメールとの出会いは?

間:昔、NHKの番組で「デルフトの眺望」を見ました。それが最初です。

編:デルフトの眺望」はプルーストが「世界で最も美しい絵」と称したことでも有名です。

間:絵画の王道は、宗教画か歴史画、あるいは神話画、それと王侯貴族の肖像画だったことを考えると、風景画は絵画の位置づけとしては、低いんですよ。描かれたとしても物語の背景としてであって、風景そのものが主題として描かれたことはあまりなかった。レンブラントは肖像画家として成功したけれども、歴史画から出発しているので、神話画や聖書のテーマをたくさん描いています。その意味ではルーベンスに近いし、工房の師がカラヴァッジェスキであったことも彼の明暗法に影響を与えたと思われます。

「イサクとリベカ(ユダヤの花嫁)」 レンブラントの絵 アムステルダム国立博物館 写真提供:Wikimedia Commons

編:フェルメールの絵で、お感じなるのはどういうところですか?

間:たとえば構図、窓があって、室内を描くというのは、ピーテル・デ・ホーホとかも描いています。肖像画じゃないのに人物一人を描く手法も同時代のテル・ボルフなどが描いています。だから全てフェルメールのオリジナルというわけではないわけで、互いに構図を真似ている感もあります。それから、「真珠の耳飾りの少女」の、ふっと振り返ったような、ひねりのきいた、見返り構図は、グイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」という作品を思い起こさせます。ミケランジェロなどから続く伝統的な構図のようにも感じます。

編:他のオランダ絵画と類似の構図があるのに、フェルメールは何が違うんでしょう。日本でもとても人気がありますよね。

間:日本人の感性に合うのではないでしょうか。フェルメールの絵には他の画家の作品には感じられない独特の空気感、臨場感、存在感、絵の力のようなものを感じます。

フェルメールと同時期の画家ピーテル・デ・ホーホの絵「天秤を持つ女」 アムステルダム国立博物館 写真提供:Wikimedia Commons
「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」グイド・レーニの絵 ローマ・バルベリーニ絵画館 写真提供:Wikimedia Commons
黄金の17世紀、その後

編:オランダ絵画のその後についてお聞かせください。

間:17世紀の後半、政治的には、オランダはイギリスと対立し、やがて敗れます。新大陸での覇権も失い、ニューアムステルダムはニューヨークに変わります。同時にオランダ絵画も衰退します。黄金の17世紀というけど、それは一時の光り輝く時間です。しかしその世紀はヨーロッパ絵画の新しい世界の幕を開く転換となった世紀でもあります。彼らが試みたのは、外の光を取り入れたこと、これまで室内での明暗や劇的効果を狙った「光と影」の技法はありましたが、これほど外界の光に注目した時代はなかった。また、日常生活をテーマとする作品がこれほど多く描かれたこともなかった。それは画家自らが描きたいと思う絵を描く十九世紀という時代へ向かう近代絵画の出発点でもあったと思います。その時代は産業革命を経て現実のものとなっていきます。

編:西洋美術史にオランダ絵画が残したものは、実に大きいということですね。今日はありがとうございました。

レンブラントの大作やフェルメールなど多くの作品を展示する オランダ国立博物館
間辺恒夫(まなべ つねお) 元「美の旅」シリーズ担当。長年ヨーロッパの企画に携わり、現在はJATAの講師も務める。日本酒が大好き。
2015年3月 マウリッツハイス美術館(ハーグ)貸切見学の旅 全6コース オランダ絵画を知る旅のご案内タイトル
3月27日 夕刻

全てのコースがハーグ・マウリッツハイス美術館に集います。木村泰司氏によるセミナー(講演会)の後、閉館後のマウリッツハイス美術館を貸切見学します。

講師プロフィール
木村泰司氏(西洋美術史家) カリフォルニア大学バークレー校で美術史学士号を修めたあと、ロンドンサザビーズの美術教養講座にて、WORKS OF ART 修了。現在は各地で講演活動を開催。わかりやすい、軽やかなテンポの講義には多くの聴衆が魅了されています。
コース紹介
A 木村泰司先生同行
美貌なれバロック、輝ける巨匠たち
3/25発 9日間
B 美の旅 マウリッツハイス美術館と
ローマのカラヴァッジョ徹底満喫
3/25発 10日間
C 音楽&美術
ロンドン・フィル鑑賞とアムステルダム
3/23発 8日間
D フェルメールにあいたい
アムステルダム&パリ
3/26発 7日間
E 四季の招待状 ベネルクス三国へ 3/22発 10日間
F 水辺の風景 オランダ紀行 3/26発 8日間

 

 

生まれ変わったマウリッツハイス美術館
「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」「トゥルプ博士の解剖学講義」などの至宝が並びます。 写真提供:オランダ政府観光局

2012年から2年の歳月を経て、再オープンしたハーグの「マウリッツハイス美術館」。オランダ領ブラジルの総督を務めていたヨハン・マウリッツ公が建設した館を王室が入手し、1822年、美術館として開館しました。17世紀のオランダ絵画を中心に、ルーベンスやファン・ダイクなど、フランドル絵画も多く所蔵していることで有名です。館内はマウリッツ公の館だった17世紀の雰囲気がより再現され、「黄金の17世紀」をじっくりと味わっていただけるようになりました。
新しくできた別館の企画展やカフェなども楽しみです。

改修後のマウリッツハイス美術館完成図 著作権マウリッツハイス美術館
朝日旅行のご旅行にご参加の皆様へ 新しいマウリッツハイス美術館へようこそ!2014年6月、大規模な改修・拡張工事を終えた美術館に珠玉のコレクションが帰ってきました。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」や「デルフトの眺望」、レンブラントの初期の傑作「トゥルプ博士の解剖学講義」など、オランダ黄金時代17世紀を代表する名画の数々をぜひご堪能ください。まだ訪れたことのない方はもちろん、一度ご覧になった方も新しいマウリッツハイスを訪問してみてください。きっと新たな発見に出会えることでしょう。また、3月末からのオランダはさらに花の楽園キューケンホフ公園も開園し、さらに魅力一杯の季節になります。朝日旅行でご参加の皆様にぜひオランダの魅力を感じていただきたいと思います。 オランダ政府観光局・日本地区局長 中川 晴恵

投稿:朝日インタラクティブ