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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2013年12月18日

旅なかま12月号 旅人の心に添う 秘湯はひとなり

〔本稿は会員誌『旅なかま・国内版』2013年12月号に掲載されたものです〕
ご新規のお客様には見本誌を無料でお送り致しますので、こちらのフォームからお申込みください。その際、「旅なかま・国内版12月号希望」とご記入下さい。なお、部数に限りがございますので、お早めにお申込みください。

大丸あすなろ荘渓流野天風呂
秘湯の生き残りをかけて 出逢いと行脚、そして誕生

関:「日本秘湯を守る会」というひとつの組織ができあがるまでに、様々なご苦労があったと思いますが、はじめに発足のきっかけや、会長と朝日旅行の前身である朝日旅行会の岩木一二三創業社長との出会いなど、お伺いできればと思います。

佐藤会長(右)と関事務局長(左)

佐藤会長:昭和40年代、私どものような山の湯宿というのは、登山基地か湯治場でした。40年代の後半にオイルショックその他ありまして、いよいよ山の宿を閉じるのか、それとも観光地らしいところに温泉宿を移すのかという問題が、全国的に出てきたんです。
そのような中、地域の発展や将来を一緒に考えていこうと思っても、隣の宿だとお客様の競合もあって、なかなか上手くいかないんですよ(笑)。だとしたら一山超えたところの温泉宿だったら、競合もないし、どうだろうという気持ちがあり、当時の朝日旅行会の岩木社長に相談したわけです。他の旅行会社には話も聞いてもらえない中、唯一岩木社長だけが「皆さんが山の宿で旅人を迎えることと、私たちが山の宿に旅人を送るということ、概念でいえば、みなさんはパートナーです」とおっしゃってくださったんですね。その当時「パートナー」という言葉を使っていただける旅行会社は一つもなかったんです。本当にこの言葉には感銘を受けました。この出会いがなければ、多分、その後発足にむけて奔走した2年間も、「秘湯を守る会」もなかったと思います。
立ち上げまでは何をしたかというと、全国かけ歩いて会の加盟宿を必死に集めていたわけです。ただ「旅」と言っても当時の旅は、1千万の貯蓄をもってる人が、その利息で楽しむ、あるいは会社の社員旅行というのが一般的でした。

関:まだまだ旅は男性のもの。歓楽志向で、鬼怒川、熱海あたりの温泉街がもてはやされていた時代ですね。

佐藤会長:そうです。変な言い方すると芸者やコンパニオンをはべらせて、余興に興じるというのが旅館でした。そこに「文化」とか「癒し」という目的はなかったんです。社会も、より速く、より大量にという大量生産大量販売が、大手を振っていた時代ですから、秘湯のような、小規模で交通の不便なところに、お客様を迎えられるかという事については大きな疑問がありました。もともと秘湯の宿は、地元の方が疲れを癒す場所で、木造で廊下は斜め、そんなところがほとんどでしたからね(笑)。そんな中で発足をめざし、2年間、地図の温泉マークを頼りに100軒近く歩かせていただきました。当時、下北半島の浅虫温泉なんて、3日かけて行きましたよ。夕方宿について結局泊まれなくて、夜中に懐中電灯もなく山を歩いて降りてきたということもありました(笑)。そうやって岩木社長に報告書を出して、最初に240軒くらいの宿に「こういう秘湯の会という仲間作りをするので、是非お入りいただけませんか」みたいなダイレクトメールを出したんです。

関:その当時はコピー機もなかったでしょうから、わら半紙に…。

佐藤会長:謄写版刷りですよ(笑)。で、最初は、「秘湯の会なんて何を馬鹿にしているんだ」というお返事が圧倒的でした。何しろ、当時は温泉を守ろうとか、自然環境の良さを次の世代に残そうということよりも、まず、子供たちを東京の大学に入れる…それが最大の夢という時代でしたからね(笑)。そんなこともあり、最終的には33軒での立ち上げとなったんです。

関:最初の33軒の皆さんは、場所は違えど同じような環境にあるということをお互いに知って、団結しようという思いが生まれてきたということですね。

秘湯に対する熱い思いを語る佐藤会長

佐藤会長:ええ。最初にもお話ししましたが、お隣の宿とはお客様の競合とかがあって、本音で話せなくても(笑)、一山越えたところですと、腹を割って話せるわけですよ。飲み水の濾過、温泉の温度を下げるホースの話なんかも。そういうことに皆さん気づき始めて、それからは早かったですね。何せ、新規会員でお入りいただくと、即、東京の朝日旅行新聞のトップ記事になるわけですから。

関:まず、特集記事で取り上げますからね。

佐藤会長:ええ、今の言葉でいえば、ものすごいステイタスですよ。今まで、地元のお客様しか迎えられなかった宿が、遠くの首都圏からも旅人を迎えられるんだという驚き、感動たるや、言葉にはあらわせませんでした。町役場もびっくりして、道路の整備に力をいれるようになったこともあります。

激動の時代に秘湯も変わるか

関:発足から数年でしょうか、バブルを迎えます。

佐藤会長:50年代後半、バブルの前半ですかね、お客様が「団体」から徐々に「個人客」に変わっていきました。バスツアーが激減していくんです。団体旅行はあくまでも「交通手段」が団体なのであって、泊まった時は人は「個」に戻りたいんですよね。

関:そうですね、昔は団体で、相部屋でよかったのが、だんだん「個」の自覚がでてきて、個人の要求が強くなってきて…。

佐藤会長:設備に対する要望、清潔感ですとか、お食事の質、それに対する苦情が一番激しい時代、それがバブルの全盛期でしたね。秘湯なんだから、多少不便で汚くても…ということでご理解いただけるのは難しい時代に入ったなあと思いました。

関:バブルの後、何か変わりましたか?

佐藤会長:バブル後は、各施設とも比較的年収も上がりましてね。その中で設備の改修など盛んに行われました。ところが、40年関わって初めてわかったことですが、秘湯の宿に旅人が求めるものは、結局、最終的には施設でもなんでもなかったんですね。旅人が求めているものは、宿の心根であり、優れた中身だったんです。それは、バブルの前も後もそうでしたし、多分、今日でも変わりはないですね。
ただ、インターネットの時代になってからは、お客様の層も含め、大きく変わりつつあります。なので、次どういうところに向かって行ったらいいのか、その目配せ、手配せが問題ですねえ(笑)。

秘湯はひとなり・旅の伝道師たれ

関:多くの旅行会社が、値段を下げて、お客様を大量に集めればいいと言っていた時代に、弊社はどちらかというと、少数であっても、目的意識をもって集まっていただくお客様のための旅を作ってきたつもりではありますが、「秘湯の会」の目的もそういえるのでしょうか。

佐藤会長:当時大量送客を主とする旅行会社さんは、宿は使い勝手が良ければそれで良かったんです。まあ、ぞうきんと同じですよ(笑)。けれど唯一岩木社長は違ったんです。「この旅があなたの人生のどういう糧となったのですか?その問いの相手先として、あなたの宿が選ばれたんですよ」と。「旅人の人生観そのものをそっくり飲み込んでもらえるような環境、心を提供すること。それこそが、宿のオーナーが、誇りを持てる生き方につながることではないんですか?」と教えてくれたんです。目的といいますか、原点はそこだと思いますね。
「あなたの宿は旅人の心をどう満たしてあげられる?寝かせて、食べさせて、それで送り出せばいいというのではない。それは、宿屋ではないんだよ。あなた方が、天性持っている中身を、きっちり旅人に伝えないと。」
「旅の伝道師であれ」とよく、言われました。「人生の伝道師たれ」とも。それは、とうてい我々にはできそうにないんですが(笑)、でも、常にそういう思いをもちながら旅人を迎えたいですね。旅人と共に歩かせていただいて…。それが望みです。

関:当時「ディスカバージャパン」もはやった頃でしたよね。上原謙さんと高峰美枝子さんが、法師温泉の枕木の湯殿につかったポスターがありました。

佐藤会長:ええ、あれは嬉しかったですね。「秘湯の会」の発足にむけて最初の会合をひらいたのも、法師温泉でしたから。つまり私達が長年培ってきたものが、価値があると認められ、未来に向けて発信していく手段になりうるんだとわかったわけで、それは、ものすごい勇気をいただきました。

関:秘湯がこれまで残ってこられた大きな理由は、まず、発足時の心根を大事にしたこと、秘湯は人でもっているということを大事にしてきたこと、表題にある「旅人の心に添う、秘湯はひとなり」まあ、これは後になってできてきた言葉ではありますが、そういうことを大事にしてきたからと言えますね。また184軒がそれぞれ個性があって、それはお湯だけでなく、お湯を守ってきた経営者、女将さん、従業員、そして訪れてくれたお客様を巻き込んだ個性が、これまで存続してきた大きな要因といえますね。あらためてそう思いました。

法師温泉長寿館の法師の湯
次の40年、秘湯の役割とは?

佐藤会長:40年という月日を積み重ねながらここまで来たというのは、確かなんですが、日本全体の観光業のなかで、どれほどの貢献ができたのかといえば、それは全く自信のないところで…。ただ、再生可能エネルギーみたいなことを言われている中で、山の宿を残すこと、秘湯の宿を残すということ、それはもう一観光施設を残すということにはとどまりませんでね。秘湯は、日本の山岳文化、自然環境を含めた日本の地方文化そのものを残す、一番の拠り所になりうる思ってます。どういうことかと申しますと、秘湯の宿が存在しなければ、間違いなく地方の路線バスも通りませんし、地元の小学校も消えていくんですね。日本の原風景というだけでなくて、最低限の集落の核を考えた時に、温泉なくして、多分核は存在しえないんですね。結局、山の宿、秘湯の宿というのは、自分が、旅人として行ってみて、初めて気づくことが多いんですよ。そこに宿がある…単に宿屋の機能を果たしているということだけではないんですね。まさに人の命そのもの、命を繋ぐものとして、そこが存在するのです。そういうぎりぎりの場所に、私ども多くの会員宿はありますので、この会員の方184軒、それがたとえ100軒になろうとも、そういう地域性をきちんと残して、次の世代にどう繋いでいけるのか、それが一番問題ですね。まず最低条件として「温泉」とまわりの自然環境を残すこと、その上で、そこに残って、日本の将来を見据え、未来の旅人もきちんと受け入れていける中身にしたいですね。行政に働きかけるだけではなくて、自分達もそういった気構えの中で、次のステップを踏み出すための40周年にしたいと、そんな風に思ってます。同時にこれは、日本の観光産業の中で、最も失われようとしている部分なんですね。特異性より一律化というか、まあ昔からそうなんですが(笑)。

関:今後も秘湯の会は地域文化、またそれを守る人作り、そしてそれを維持してくださるお客様づくり、そういったものを、目指していくということですね。ここからは、ざっくばらんに、40年の中で心に残るお話しなど、していただければと思うのですが。

自然の厳しさと優しさと

佐藤会長:発足にむけての2年間、あちこち歩かせていただいたこと、それと発足の際、核となっていただいた旅館の親父さん、お女将さんのことは、いくら語っても語り尽くせません。本当に忘れられないですね。それから、やはり厳しい自然環境にあるので、良いことだけではありませんでね、私が副会長の時でしたが、一家全員が雪崩に巻き込まれ、たった一人経営者だけが生き残ったということがありました。

関:新潟の「清津館」さん(清津峡湯元温泉)ですね。

佐藤会長:ええ、あの清津峡の悲惨な光景を見た時は、全く言葉がないだけではなく、こんな場所で、こんな環境のなかで、宿屋というものは、永続性を持たせてやるべきなのか…ということを問われた、最初で、ひょっとして最後の場所なのかもしれませんね。あの惨事を見たときに、言葉がなかったです。川向うの遥かかなたから降りてきた雪崩が、あれだけの川幅の川を全部埋め尽くしているんですよ、それで、こちらの建物は潰されているわけですから…。これは「秘湯を守る会」として何とかしなければ…ということで、最初、田中角栄さんの目白邸に通ったんですよ。でも、勿論全く相手にしてもらえない(笑)。次に、福島県の衆議院議員の方に、10回くらい足を運んで、初めてとりついでもらえて、災害の深刻さを理解していただき、復興の予算を取り付けてもらったということがあります。で、その時、どんな災害が予想されようとも、災害からの復興がどんなに大変でも、その地域にその宿の伝統を残すということが、どれほど大切かということを教えられました。仲間だからできること、仲間でもできないこと、その取捨選択をどういう目線ですればいいのか、その時教えられた気がします。

関:本当に、全てのお宿が非常に厳しい自然環境のなかにあるわけで、それだけにその環境に耐えてこられたやさしさといいますか、それが旅人に「癒し」を与える、一つの条件になっているのかもしれませんね。それを是非「秘湯の宿」に出かけて味わっていただきたいですね。先ほど会長がおっしゃられたように、直接出かけてみないと秘湯には会えませんから。自然環境の良さ、厳しさを知るためにも、是非出かけていただきたいです。

法師温泉長寿館の法師の湯
3.11で学んだこと

佐藤会長:災害の話がでましたが、東日本大震災以降の2年7か月、ここで学ばせていただいたのも非常に大きいですよ。「秘湯」を巡っていただいてる、スタンプ帳※をお持ちのお客様が、もしいらっしゃらなかったら、東北の「秘湯の宿」は、多分みんな倒産してましたからね。

関:本当にそうでした。実際、営業再開までに時間がかかった宿もたくさんありましたしね。

佐藤会長:そのありがたさと言うか、その思いは、どんなに感謝してもしきれないですよ。我共宿に対して「あなたたちが頑張ってくれないと、私達旅先として、行くところがなくなっちゃうんだから」と、そんな言い方をしていただける、そんなこと普通ないですよね。お金を出していただいて、お泊りいただいて、で、激励していただける、本当にありがたいですよね。

関:まさに、秘湯を守っていただいてるのは、お客様である、ということですね。

佐藤会長:そうです。お客様です。

関:なので、これまでの感謝をこめて、より一層お客様をお迎えできる体制を作っていくことが大切ですね。

佐藤 好億氏 プロフィール

佐藤会長:そうですね、政治状況も、経済状況も変わってきていますが、変えてはいけないものというのが、間違いなくあると思うんです。それをどれだけ、会員同士で共有していけるかということだと思うんですね。

関:それが、「秘湯の会」が長年実施している「研修会」ですとか、「総会」ですね。そして、各支部会を通じて、親父さん、女将さん同士が話しあって、腹蔵ない関係作りをしてきたことが、まあ一番守らなければならない大事なことの一つですね。

佐藤会長:ただ、こればっかりは一朝一夕にはいかないんでね(笑)

関:そうですね(笑)。本当に会長が日本国中を行脚されたからこそ、作り上げることができたことですね。それを引き続き、やってくれる方をこれから作り上げないといけないということですね。

佐藤会長:そうなんです。それはそんなに先ではありませんので(笑)。でも、まあ、次の人もきっとやってくれますよ。そう期待してます。

関:これから秋にむけて、また会長の全国行脚が始まるわけですが、次世代と次のお客様たちにつないでいただけるように、引き続き、会長には是非頑張っていただきたいと思います。今日はありがとうございました。

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投稿:朝日インタラクティブ