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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2016年04月06日

旅なかま4月号 野内 セサル良郎氏 特別寄稿 祖父・野内与吉が創ったマチュピチュ村

〔本稿は会員誌『旅なかま』2016年4月号に掲載されたものです〕
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野内 セサル良郎氏 特別寄稿 祖父・野内与吉が創ったマチュピチュ村
誰しもが知っている世界遺産マチュピチュ遺跡。その麓にあるマチュピチュ村を創ったのは、日本人だということを皆様ご存知でしたでしょうか?創ったのは、野内与吉氏。大正6年、21歳の時ペルーに渡った移民でした。激動の時代を生き、クスコ~マチュピチュ区間の線路建設など、マチュピチュ村に偉大な足跡を遺され、村長も務められた野内与吉氏。その野内与吉氏の孫にあたる野内セサル良郎氏に、お祖父様の人生とその軌跡を伺いました。
野内 与吉 氏。1895年に福島県安達郡大玉村生まれる。裕福な家庭に生まれるも、ゴムの景気に沸いていた「南米で成功したい」という希望を胸に、1917年に契約移民としてペルーに渡り、アメリカやブラジル、ボリビアなどを周り、1923年に再びペルーの土地を踏むことになる。ペルー国鉄に勤務し、運転士や線路拡大工事などに従事。1929年にはクスコ~マチュピチュ区間の線路を開通させる。手先が器用であった野内氏は、マチュピチュ村発展のために尽くし、村の皆に大変喜ばれた。村人に信頼されていた野内氏は人望を集め、村が正式に登録される前に最高責任者である行政官を務め、1948年には村長も務めました。(c)日本マチュピチュ協会

世界遺産マチュピチュ遺跡で有名なペルー・マチュピチュ村を創ったのは日本人であり私の祖父にあたる「野内与吉」です。
与吉は大正6年、21歳の時海外へ夢を抱き、ペルーへ移民を決意。到着後は、農園で働くこととなるが契約内容と実地の状況の違いなどから半年で辞め、次の仕事を求め同年にアメリカ、ブラジル、ボリビアを放浪。その後は様々な困難を乗り越え、ペルー国鉄に勤務し、会社専用電車の運転や線路拡大工事に携わり、昭和4年クスコからマチュピチュ村(旧マキナチャヨ)までの鉄道工事が完成し、そのまま何もないマチュピチュ村へ定住します。与吉は山の中にある集落であった為、木を伐採し道路も整備し畑や水路を作り村に綺麗な水を引き、昭和10年にはこの村で初の「ホテル・ノウチ」を自ら建設。

マチュピチュ村
マチュピチュ村

与吉は、自分のホテルを村のために1階は郵便局や交番として無償で貸し、2階も村長室や裁判所として使用されていた。さらに、ダムを造り、水の力を利用した水力発電を造り電気のない村に光をもたらした。あまりにもいろんな物を作ってしまうので、「七つの職を持つ男」と呼ばれていたそうだ。村の事を常に考え村の為、人の為に働き村人に信頼されていた与吉は人望を集めて昭和14年からマチュピチュ村が正式に村となるまで、最高責任者である行政官を務めた。そして、昭和22年マチュピチュ村が大きな土砂災害に見舞われた時与吉は地方政府あてに緊急支援を依頼。復興の為、昭和23年に地方政府より与吉はマチュピチュ村長に任命された。

昭和33年、三笠宮殿下がペルーを訪れ、マチュピチュ遺跡を見学した際に、与吉の長女オルガ・ノウチが三笠宮殿下に花束を贈呈。その出来事が日本の新聞記事となり、これをきっかけに昭和43年に故郷である福島県大玉村に52年ぶりに帰郷した。

クスコのアルマス広場

与吉の両親は既に他界していたが、兄弟や親戚らが歓迎し、滞在中はマチュピチュ遺跡に関する講演会を開きペルーの魅力を伝えていた。ペルーには家族が待っていると日本の家族と別れ、ペルーに戻ってわずか2ヶ月後の昭和44年8月29日に息を引き取ったのである。

私は祖父の功績を後世に伝える必要があると思い、祖父や日本人移民について研究する事にしました。研究する事でさらに尊敬すると共に私がペルーから16歳で来日し日本で働きながら、ペルー文化紹介の講師を十年以上してきたのも、祖父が私に与えてくれた使命なのではないかと感じ感謝しています。

また、平成26年日本マチュピチュ協会を設立。ペルーと日本の為に活動し、かねてから私の夢であったマチュピチュ村と大玉村との友好都市締結が平成27年に実現しました。

これからも、ペルーの魅力を伝えると共に、日本とペルーの発展の為に協力していければと思っております。

(c)日本マチュピチュ協会
ナスカの地上絵「ハチドリ」
Profile 野内 セサル良郎 氏(Cesar Yoshiro Nouchi) 1975年、ペルー共和国クスコ市生まれ(日系ペルー三世)16歳で来日。家計を支えるため来日し、働きながら高校・大学を卒業後。2004年から東海地区の100ヶ所以上の小中高等学校や名古屋市内各生涯センターなどにてペルーの文化を伝える活動を、NIC地球市民教室講師として行い、2012年4月には名古屋国際センターの世界語ろマイスターに任命されました。2014年にはこれらの活動にさらに力を入れる為、「日本マチュピチュ協会」を設立。祖父 与吉の遺志を受け継ぎ、日本とペルーの発展の為に協力します。また、私の夢は祖父の資料館を建てることです。

≪関連ツアー≫
【首都圏/関西発】「野内セサル良郎氏(日本マチュピチュ協会副会長)同行~祖父・野内与吉氏が創ったマチュピチュ村の真実を知る旅 10日間」

投稿:朝日インタラクティブ