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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2016年04月08日

旅なかま4月号 <特別インタビュー>ロマネスク再発見 美術史家 池田健二氏

〔本稿は会員誌『旅なかま』2016年4月号に掲載されたものです〕
ご新規のお客様には見本誌を無料でお送り致しますので、こちらのフォームからお申込みください。その際、「旅なかま4月号希望」とご記入下さい。なお、部数に限りがございますので、お早めにお申込みください。

<特別インタビュー>ロマネスク再発見 美術史家 池田健二氏。中世美術の研究家、特にロマネスクの研究者として著名な池田健二先生。多数の著書は勿論、カルチャーセンターでの講師や現地同行の解説など、その幅広い活躍はつとに知られています。ロマネスクを愛することでは人後に落ちない鹿野眞澄(元東京支店長)が、中世のヨーロッパから、その魅力について伺いました。まだまだ知らない世界が沢山あったロマネスク。前後編でお届けします。 Profile 池田 健二(いけだ けんじ)1953年、広島県尾道市生まれ。美術史家、専攻は中世のロマネスク美術。上智大学文学部卒、同大学大学院博士課程修了。上智大学、茨城キリスト教大学などで美術史を講義。新宿、横浜の朝日カルチャーセンターで講師を務める。30年以上にわたりヨーロッパ各地のロマネスク教会を調査。〔著書〕『フランス・ロマネスクへの旅』『イタリア・ロマネスクへの旅』『スペイン・ロマネスクへの旅』(カラー版中公新書)〔共訳書〕E.マール『ロマネスクの図像学』『ゴシックの図像学』『中世末期の図像学』(藤原書店)J.ル・ゴッフ『中世とは何か』『中世の身体』(藤原書店)G.デュビィ『ヨーロッパの中世-芸術と社会』(藤原書店)など
ヨーロッパの都市の成立

鹿野(以下 鹿):ヨーロッパの街に行きますと、中心に大きな教会があって、街が同心円状に広がっている。当たり前のようですが、そこにもヨーロッパならではの歴史が息づいているわけですね。

池田(以下 池):ヨーロッパの都市の成立は中世なんですが、実際には古代ローマ帝国による支配の時代、都市の基礎は築かれていました。ただ、5世紀のゲルマン民族の侵入のせいで、ほとんどの都市が壊されてしまったのです。その後中世になって、本格体な復興の時代を迎えると、かろうじて残っていた大聖堂が立て替えられ、教会を中心に街並みができあがっていきました。都市には富がありますから、どうしても略奪の対象になりやすい。それで街全体を城壁で囲みました。街が拡大にあわせて、古い城壁をこわし、外側に新しい城壁を作るということを繰り返していったのです。典型的なものはパリですね。セーヌ川のまわりにエスカルゴのように街が拡がっていったのがわかります。大きな街はそうして発展し、城壁も取り壊されてしまいましたので、今中世来の城壁が残っているのは、むしろ発展から取り残された小さな村や街と言えます。カルカッソンヌ(フランス)やルッカ(イタリア)、そしてアビラ(スペイン)などです。そいうところに行くと、元の中世の街の姿がよく見えてきます。

中世の城壁都市の典型カルカッソンヌ(フランス)
都市とゴシックの「ノートルダム」

鹿:多くの都市が天に突き抜けるゴシックの教会をもっています。

穏やかで、熱心なお話しぶりに惹き込まれました。

:ゴシックの大聖堂ですが、これは12世紀の後半から13世紀にかけて、ロマネスクの様式が、ゴシックの様式に変わっていったものです。12世紀後半になると、都市も発達し富が蓄積されてきます。それで一種の建築ブームが起きます。それがゴシックの時代にあたるわけで、その運動は北フランスから徐々に拡がっていきました。パリ、ランス、アミアン、ランなどで、いずれも「ノートルダム」という名前を持っています。「ノートルダム」は、直訳すると「我々の貴婦人」、つまり聖母マリアのことなのです。聖母マリアは、フランス語であれば、サント・マリーという言葉もあるんですが、あえてノートルダムという呼び名が一般化しています。これも都市の発展と大きな関係があります。その時代の都市というのは、実際には商工業者の集まりで、商工業者はそれぞれ同業組合を持ち、それぞれ異なる守護聖人と持っていました。つまり都市というのは、そういった特定の守護聖人を掲げたグループの集まりでもあったのです。もしその中で争いがあれば、それを治めるには普通の聖人では力不足で、聖人の中の聖人、つまり聖母マリアしかなく、それで「我々の貴婦人」となりました。つまりノートルダムという名前は、都市の団結の象徴でもあり、街の誇りでもあると言えます。

エスカルゴ状に拡がったパリの中心、ノートルダム大聖堂
ロマネスクとの出逢い、そして魅力とは

鹿:都市とゴシックが呼応するように、田舎とロマネスクはセットになっていますね。最初に、先生のロマネスクとの出逢いについてお伺いできますか?

:大学時代にディジョンの大学に短期留学しまして、その時に初めて先生に連れられて、ヴェズレーに行きました。勿論ヴェズレーの名前は知っていましたけれど、実際にその前に立つのは初めてで、そこで非常に強い衝撃を受けました。それから、ロマネスク詣でが始まりました。でも、なぜ自分がここまでロマネスクに惹かれるのかというと、これはわからないのです。むしろそれを探すために、ひたすらロマネスク巡りをしているというのが現状です(笑)。

鹿:先生は、それ以前もそれ以後も、ゴシック建築も沢山見ていらっしゃいます。同じ教会建築で、同じような図像も沢山あるのに、ロマネスクとゴシック、なにが違っていると感じられましたか?

:ロマネスクは、私にとって、非常に初々しいものです。そして、豊かで、自由です。大変不思議なことですが、1000年前のものなのに初々しく、自由であると感じます。逆に言えば、ゴシックにはそれを感じなかった。

鹿:それは、非常にわかります(笑)。

:ゴシックには、洗練と美の規範を感じました。逆にいうと、ロマネスクにはそれを感じなかった。

鹿:それも、非常にわかります(笑)。

:ギリシャ・ローマから始まるヨーロッパの美の伝統は、ローマ帝国の崩壊やゲルマン民族の侵入などで、ほとんど消えてしまいました。その何もないところから、11世紀、12世紀の建築家・彫刻家は新しいものを作ることを求められたわけです。お手本が全くなかったわけではない。たとえば、古い写本の挿絵だとか、墓碑の浮彫とか、わずかな手がかりはありました。しかし実際の造形となると、全くお手本がなく、よってありとあらゆる試みがなされました。それが、ロマネスクの持っている無限のバリエーションを生み出すことになったのだと思います。元がないので、初々しく、そして自由です。古代ギリシャ・ローマからルネサンス、近代のアカデミズムとつながるヨーロッパの美のメインストリームの外にいると言えます。

ロマネスクとクリュニー修道院

鹿:ロマネスクがヨーロッパ全体の芸術運動になった点については、いかがですか?

:ロマネスクの芸術運動というのは、11世紀、12世紀、ヨーロッパのカトリック世界で一斉に起きたものです。背景にはその時代の社会的な発展がありました。それは民衆の側から盛り上がっていったものでもありますけれど、忘れてはならないのは、クリュニー修道院の役割です。私は、クリュニー修道院はロマネスク芸術をプロデュースしたと思っています。たとえば、修道院の儀式です。365日、壮麗な儀式を行います。典礼が壮麗であれば、当然それにあわせて、教会も壮麗なものが必要です。これが、沢山の彫刻、回廊、壁画が生まれてきた理由だろうと思います。もちろん、ヴェズレー(ブルゴーニュ)、モワサック(ラングドック)など、その場所によって、作風や図像の展開などに違いはあります。しかしながら、あれだけどの教会も装飾に力をいれたということは、クリュニーのプロデュースの結果だと思います。スペインでもサン・ファン・デ・ラペーニャという岩陰の修道院があります。なんでこんなところに・・というような辺鄙なところですが、それもやはり、クリュニーの修道士たちが目指した形が現れているのだろうと思います。そして、結果的に、シトー派を除く、どの修道会もその大きな流れに乗り、ロマネスクの芸術運動の全体を発展させたのだと思います。

ロマネスク芸術をプロデュ―スしたクリュニー修道院
サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院の柱頭彫刻
フランスが突出しているわけ

鹿:ロマネスクというと、どうしても最初にフランスとなりますが、それはやはり、フランスのロマネスクが美術的に価値が高いということでしょうか?

:いくつかの秘密があります。まず中世のフランスはかなり人口があったのです。13世紀の時代で3千万。今6千5百万ですから、13世紀でも今の3分の一か半分に近い人口があったのです。それに対して、同時代のイギリス、スペイン、イタリアは、4~500万に過ぎなかったと言われています。つまり同時代、フランスの人口は他と比べて数倍あったということなのです。キリスト教徒は、教会に行って儀式を受けますから、人口の数に教会の数が比例するのです。なぜフランスに多くロマネスクの教会が残っているか、それは、もともとの人口の差による絶対数の差から来ています。数が多ければ、当然芸術が発展する機会も多くなります。これは原則です。

熱のこもった対談(右:池田先生 左:鹿野眞澄) (c)AST
ロマネスクの再発見「ゾディアック」

:もう一つ、なぜ現代のフランスからロマネスクが知られていったかということですが、これは「ゾディアック」の活動が圧倒的に大きかったということが言えます。1950年代にヴェズレーの近くの修道院の修道士ドン・アンジェリコが始めた出版の活動ですが、その活動によって、初めて全ヨーロッパ的なロマネスクの状況が明らかになったのです。それまで個別の国や個別の大学の先生の研究はあったのですが、全体としてロマネスクを俯瞰する研究はなかったのです。そして、その「ゾディアック」の全八十数巻で全ヨーロッパをカバーするという大きな企画のもと、その作業が進みました。残念ながら21世紀に入ったところで、その出版は終わってしまいましたが、その出版がフランス語であったということに、一つのポイントがあると言えます。

鹿:日本でも「ゾディアック叢書」として知られていますね。網羅する範囲もヨーロッパ全土です。

:イタリアなどは、「ゾディアック」の出版まで、全土のロマネスクを通観する出版物がなかったのです。それが、「ゾディアック」の活動によって、初めてイタリアにもこんなにロマネスクがあるということが明らかになりました。スペインも同じで、今でもスペインには「ゾディアック」のファンが非常に多いのです。大げさな言い方をすれば、ドン・アンジェリコは「ゾディアック」の活動によって、我々のヨーロッパ芸術に対する認識を変えたとも言えますし、ロマネスクの教会がある田園の風景の価値を、我々に再認識させた、とも言えますね。

鹿:ロマネスクは広く認識されて、まだ70年くらいしかたっていないわけですね。

:そうです。19世紀始めにゴシックから分かれて、ロマネスクという名前ができました。その後メリメ、彼は「カルメン」の作者ですが、彼のような人たちによる文化財保護の活動によって、19世紀の半ばにロマネスクの再発見がなされました。そして20世紀に変わる頃、ロマネスクの学問的なベースが作られましたが、各地の調査が進み、大衆化していくのは、20世紀の終わりになってから、つまりある程度「ゾディアック」の出版が進んでからといえます。

鹿:学問としての体系づけなどは、それまではなかったということでしょうか?

:美術史というのは、少なくとも第二次世界大戦の終わりまでは、ナショナリスティックな、つまり国威発揚的な意味合いが強かったのです。たとえばドイツであれば、ゴシックはゲルマン民族のエートスの現れであるとか、イタリアであれば、ムッソリーニが古代ローマやルネサンスの栄光を、当時のイタリアに結びつけたりしていました。さすがに第二次世界大戦後は、それはなくなってきて、むしろEUの成立によって、ヨーロッパにある普遍的なものに注目しようとするようになりました。それがロマネスクなんですね。つまり、ロマネスクは、国境や細かい民族意識がなかった時代、ヨーロッパが一つであった時代の普遍的なものなのです。(つづく)

ロマネスク研究に偉大な功績を残した「ゾディアック」 (c)AST

(聞き手:鹿野眞澄/元東京支店長)
※次号では、ロマネスクの精神性と「共振」、そして、フランス以外のロマネスクについて語っていただきます。

画像提供:特に記載のないものは池田健二氏

美の旅で出会うロマネスク教会
フランス ヴェズレー サント・マリー・マドレーヌ聖堂
ヴェズレー サント・マリー・マドレーヌ聖堂(c)Wikimedia Commons

9世紀には小さな修道院にすぎませんでしたが、マグダラのマリアの聖遺物が持ち込まれると、多くの巡礼者が訪れるようになり、「サンティアゴ巡礼路」の起点となりました。11世紀末~12世紀前半に建てられた教会は、数多くの彫刻で飾られていて、「ロマネスク芸術のゆるぎない傑作」とされています。「フランスの最も美しい村」に指定されている村の散策もお楽しみください。

フランス コンク サント・フォワ教会
コンクの村

谷あいに佇むような村です。小さな村には不釣合いな大きな教会は、かつて巡礼路上の宿場町として多くの巡礼者が訪れていたことを物語ります。「黙示録」が刻まれたファサードのタンパンはとりわけ有名です。是非村に宿泊をして、陽の移ろいに連れて表情を変えるタンパンの彫刻や教会、そして素朴な村をじっくりと味わいたいところです。

フランス モワサック サン・ピエール修道院
モワサック サン・ピエール修道院回廊

6世紀に遡るとされる修道院ですが、現在の建物は12世紀前半に造られ、教会は15世紀にゴシックに改築されました。タンパンには「24人の長老」がキリストを見上げる大彫刻があり、支えの柱には身を隠すように悲しげな表情を見せる預言者エレミアが彫られています。そして、「フランスで最も美しい」と称される回廊へ。数ある彫刻を鑑賞しつつ、外界から閉ざされた美しい空間をご堪能ください。

スペイン ハカ郊外 サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院
サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院回廊(c)Wikimedia Commons

「岩の聖ヨハネ修道院」の名前通り、10世紀、イスラム勢から身を隠すように、巨岩を穿って造られました。11世紀に、キリスト教世界最前線としてアラゴン王が大修道院を再建して以来、多くの巡礼者で繁栄しました。ロマネスクの柱頭彫刻が並ぶ美しい回廊は、ゆっくり時間をとって見学したいところです。

スペイン レオン郊外 サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院
サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院教会

イスラムの影響が窺える「モサラベ建築」の最大傑作と言われています。10世紀、コルドバから逃れてきた修道僧たちが、馬蹄アーチを多用した「モサラベ様式」の教会を建てました。アーケードも内部もすべてのアーチが馬蹄形です。そして後陣の形も馬蹄形プランと徹底していて、モサラベの美を存分に味わうことができます。

ノルウェー ウルネス ウルネス・スターヴ教会
ウルネス・スターヴ教会 ウルネス様式彫刻(c)Wikimedia Commons

三方を山に囲まれ、下方にソグネフィヨルドを望む絶景の中に建つ教会です。現在の教会は、12世紀前半に建てられていますが、それ以前にあった11世紀の教会の彫刻が残されています。この彫刻は、「ウルネス様式」と呼ばれる、ヴァイキング神話の動物と蔓が絡む独特のデザインです。ノルウェーのスターヴ教会では、唯一、世界遺産に登録されています。

本インタビューの後編「ロマネスク再発見」は、旅なかま5.6月号に掲載されております。こちらからもご覧いただけます。

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【首都圏発】世界の名画を訪ねる「美の旅」シリーズ

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投稿:朝日インタラクティブ