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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2018年08月08日

旅なかまVol.282 6回シリーズ 「巨匠6人によるキリスト教名画解説」—ヨーロッパ6ヶ国の美術館から—

〔本稿は会員誌『旅なかま』2017年Vol.282に掲載されたものです〕

第2回 「バベルの塔」ピーテル・ブリューゲル

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ウイーン美術史美術館(1563年、油彩、114×155㎝) ©Wikimedia Commons

「こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、 すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」 —創世記11章8〜9節—

 

「混乱」

作者のピーテル・ブリューゲルは、初期にはアウトウェルペン(現アントワープ)で修行後、1552−53年にイタリアに旅行し、帰国後版画下絵画家として活躍します。生涯描いた作品のおおよそ半分は聖書を主題としたものであり、当時流行った大風景の中に小さな人間の営みが描かれるなど、神と人間との対比がそこに隠されている絵も少なくありません。
大洪水によってこの世界が神によって裁かれた「ノアの洪水」の事件のあとで、時が経つに従い、次第に人間は自分の持っている力や能力を誇り、それを誇示するために、天にまで届く塔を建てようと神に挑戦しました。ここで登場するのが「バベルの塔」です。
この作品の前に立つと、まず目に入るのは建設を中断された大きな塔の存在です。どことなくローマの古代闘技場であったコロッセオを思い出させる建造物ですが、ブルーゲルが若き時に尋ねていた証しでもあります。左下を見ると創世記10章に登場する塔の建設者であったと思われるニムロデ王と従者たちが描かれています。
また、隅々まで目を凝らして見ると、塔の背景に街並が、右手前には港が描かれています。これらはブリューゲルが生きていた当時の最も繁栄していた港町アントウエルペンであるそうです。塔の中に描かれている工作機械も当時の最新技術のものであったと言われます。
つまりこの絵は「バベルの塔」が建てられた古代を想定したものではなく、ブリューゲルが生きていた時代を背景にして描いているのです。
当時のアントウエルペンは、貿易港として外国との交流が盛んであり、そこには様々な人種が集まり、多くの言語が話されていたところでした。また、1517年にドイツで起こった宗教改革の運動がこの地域にも影響を及ぼし、それまで支配的であったカトリック教会と新たにきたプロテスタント教会における宗教的混乱が生じ、その町に住む人々の間には言語的にも、また宗教的にもコミュニケーションがうまくとれていない状況でした。「バベル」とは混乱を意味する「バラル」からきた言葉です。
そうしてみると、この絵は現代に生きる私たちにも鋭い警告を与えているように思います。技術が進歩し経済が繁栄していく中で、人が神のことを忘れてしまうとき、人の心に次第に高慢が巣食い、互いに理解し合うことのできない社会が形成されていくのではないかということを…。

*去る4月18日〜7月2日まで東京都美術館にて、この作品の5年後に描かれたボイマンス美術館(ロッテルダム)所蔵の「バベルの塔」が展示されました。その作品もとても秀逸であり、この作品よりも画面は小さいですが、およそ1400人もの塔の建設従事者が細密に描かれております。神と人間との対比こそ、ブリューゲルが生涯心に思っていたことなのでしょう。

 

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左:ウィーン美術史美術館内、      右:ウィーン美術史美術館 外観©AST
ブリューゲルの部屋©AST

《プロフィール》
町田 俊之(まちだ としゆき)氏 :富士見聖書教会牧師 青山学院大学非常勤講師。1995年、美術宣教を目ざす「バイブル・アンド・アートミニストリーズ」を設立。<主な著書>「アートバイブル」(日本聖書協会)、「巨匠が描いた聖書」(いのちのことば社)

 

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投稿:首都圏発海外旅行担当