出発地を選択してください。出発地はいつでも変更できます。
出発地を選択してください。
×
MENU

機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2018年08月08日

旅なかまVol.284 6回シリーズ 「巨匠6人によるキリスト教名画解説」—ヨーロッパ6ヶ国の美術館から—

〔本稿は会員誌『旅なかま』2017年Vol.284に掲載されたものです〕

第3回 「イエスの洗礼」ピエロ・デラ・フランチェスカ

senrei

(1448-50年頃、テンペラ、167×116㎝、ロンドン、ナショナル・ギャラリー)©Wikimedia common

「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。こうして、
イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。これは、わたしの愛する子、
わたしはこれを喜ぶ。」 —マタイ3:15〜17節—

 

「洗礼」

澄み切った青空の下、イエスはヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けています。まさに静謐と言えるような静かで気品に満ちた作品です。
この作品は、もともとピエロの生まれた故郷ボルゴ・サンセポルクロにあるバプテスマのヨハネに捧げられたカマドリ会修道院聖堂の礼拝堂を飾る祭壇画の中央のパネルと考えられています。
作者のピエロの人となりや私生活については、あまり知られていません。家業を継いだ兄弟たちと暮らしていたようですが、結婚した形跡はありません。故郷での生活は絵画と同じように静かなものであったと思われます。数学や幾何学の著作でも、自分のことは全く述べておりません。
しかし、芸術と科学が交錯した初期ルネサンス時代の代表的画家として、絵画にその本質を表わしました。
「洗礼」とは、自分の罪を認めて悔い改めたしるしとして水の中に浸る(バプテスマとは「浸す」「洗う」という意味のことば)行為ですが、この絵では、ヨハネがイエスに水を掛けています。これは後の時代の滴礼(頭に数滴の水を振り掛ける)というもう一つの形式です。
では、なぜ聖であられ罪の全くないイエスが洗礼を受けられたのでしょうか。
それは、公生涯を始めるに当たって、イエスが罪のある人間と同じ有限の立場に立たれていることを表わすためでした。そのようにして公生涯を始めることがイエスにふさわしいことだったのです。
イエスは神の無限の聖さを持ちながらも、同時に人間としての有限な性質を持っておられました。
イエスが洗礼を受けられたとき、父なる神の声が天から聞こえました。それは、イエスの行為を喜び、イエスこそ父なる神が遣わした救い主であることを宣言する特別なことばでした。そして、そのときに御霊が鳩のように現われました。ここに、父なる神と子なるイエス、そして聖霊なる「三位一体の神」が同時に登場しているのです。
初期ルネサンスの画家ピエロは、背景の自然の姿を克明に観察し、それらを緻密に描写しました。木々の種類の違いもよく表われています。また、描かれた背景はピエロの故郷でした。
イエスの右側にしっかりと立って豊かな葉を茂らせている樫の木の描写こそ、ルネサンスの新しい時代を象徴するものであると同時に、イエスの「洗礼」は旧約の最後の預言者であったヨハネから新約のイエスへ確実にバトンが移されたことのしるしとなりました。
それとともに、この樫の木はイエスの不動な姿を見事に引き立たせ、豊かな葉っぱの繁みは神からの祝福が豊かに注がれていることを見る者に暗示しています。

sanse
サンセポルクロ旧市街 ©Wikimedia common

 

《プロフィール》
町田 俊之(まちだ としゆき)氏 :富士見聖書教会牧師 青山学院大学非常勤講師。1995年、美術宣教を目ざす「バイブル・アンド・アートミニストリーズ」を設立。<主な著書>「アートバイブル」(日本聖書協会)、「巨匠が描いた聖書」(いのちのことば社)

 

ナショナル・ギャラリーを見学するツアーは、下記をクリック!

【11/16発 出発決定!】ナショナル・ギャラリーとコートールド美術館

【新発表!】ナショナル・ギャラリーとウォレス・コレクション

 

投稿:首都圏発海外旅行担当