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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2010年11月22日

2010年11月22日 「旅なかま」2010年11・12月号 巻頭インタビュー

タイトル-アンコールワットへの想い 全景

[写真右:全景(写真提供:石澤良昭先生)]
今回は、アンコール遺跡研究の第一人者である上智大学学長の石澤良昭先生に、遺跡との出会いから、調査を進める中での発見、カンボジア人の人材養成のご苦労や感動など、「想い」を語っていただきました。アンコール遺跡の研究・保存にかける人々の情熱が、皆様をアンコールワットへの旅に誘います。

アンコールワット研究へと導いたもの
鹿野:これまで度々、先生にはアンコール遺跡群の解説として、ご同行いただいておりますが、私は今から25年前に、先生に初めて南インドの仏跡巡りの講師をお願いにあがったことを覚えております。当時は、先生は鹿児島大学から上智大学に移られて間もない頃で、まだカンボジア旅行は治安上の問題もあって観光することができませんでした。それから20数年を経て、今や、日本から手軽に行ける世界最大の仏教遺跡として人気の場所となりました。今日は、遺跡のことだけではなくいろいろなお話をお伺いしたいと思います。ところで、先生は学生時代、フランス語を専攻され、あるきっかけでたまたま訪れたアンコールワットに大変衝撃受けて、アンコール研究をライフワークとされたと伺っています。そのへんの話しからお願いできますでしょうか。
1961年ごろ
[写真右:調査を始められたころ(1961年)の石澤先生(写真提供:石澤良昭先生)]
石沢先生:1960年代、今から約50年前はアンコールワットがなんなのかということは文献上はわかっておりましたけれど、それ以上のものではなかったわけですね。やはり巨大な寺院であり、浮き彫りが素晴らしいし、まただれが造営したかなど謎を秘めているという点でどの人も興味を持っていました。私も同じ体験をしました。私がアンコールワットというのは、わからないところが多く、すごいんだという裏づけを確認したのは、フランス人の研究者がまだ1961年段階で、数にして7・8名残っていたと思います。その中にグロリエ先生という方がおりまして、お年は40近かったのですが独身で、その下で私も先生に師事をし、教えを請うことをしたんです。ある時に先生に、「先生、どうして独身なんですか」、と聞きましたら、大変怒られましてね。何故かというと、「石澤、よく考えろ。」「自分にとって今直面している大きな問題、自分が夢を、希望を抱いて挑戦している問題、それはアンコールワットの問題なんだ」ということを言われましてね。先生としてはそれに「一生をかけているのだ」という話を聞いて、すごく感銘したんです。人が「一生をかける」というのは大変なことでありますし、仕事を極めるということはこういう事なんだと思ったわけなんですね。なりふりかまわず仕事に没頭していくという姿は、だれにも感動を呼び起こし、凄いものだと思ったものですね。やはりグロリエ先生の一言――「自分が今かけている一番価値が高く、最高に価値があることはアンコール研究なんだ」と、言われまして私はハッとしたんですね。そこまで一生をかけるものなんだということで、私も、先生の後姿を見て、ついていこうと決心しました。
[左:石澤良昭先生 右:聞き手・海外旅行部長 鹿野眞澄]

石澤良昭先生と聞き手遺跡調査をすすめていくと…
鹿野:当時は、内戦の影響もあると思いますが、アンコールに関する情報というのは、極端になかったと思うんですが。
石沢先生:おっしゃるとおりで、まったく情報がなかったんです。1971年まではグロリエ先生を中心とするフランス極東学院のグループは、解放勢力が最前線としている遺跡内に出入りしておりました。ポルポト派が遺跡を占拠しておりまして、彼らは保養地、傷病兵の手当て、最高幹部の会議をする場所とか、そんな場所にしていたようです。政府軍も遺跡内を攻めるというのは文化遺産の保護の世論から非難を受けるわけです。そういう非難を受けるのならということで、遠く取り囲む陣地対決戦だったのです。
鹿野:私もそうでしたが、アンコールワットについて、多くの人が誤解しているというか、遺跡というとインドネシアのボロブドウールのようなひとつの建造物というイメージがあるのですが、94年に初めて訪れて自分の大きな誤解に気がつきまして、何よりも広大であること、私が見たものはまだほんの一部で、こうした規模の遺跡が密林中にまだ眠っているという話を聞いて、イメージを新たにしました。わりと早い段階で全容がわかっていたのですか。
石沢先生:20世紀になってからフランス極東学院がしっかり学術調査をやっていましたから、概要とか詳細とか、濃淡はあるとしても情報としてはしっかり発信されていたんです。ただその情報言語というのはフランス語に限られておりまして、日本ではフランス語に関してバリアがありました。フランスの新聞を読んでアンコールの情報を読み取るということはまずしなかったでしょうね。
鹿野:これは宗主国だったということですね。アメリカ、イギリス、ドイツという、どの遺跡に行っても必ず発掘している国々は、アンコールワットではできなかったのですか。
石沢先生:ええ。フランスの植民地(1863~1953)であったということから、フランス政府とカンボジアの政府は協定を結んで、フランス極東学院に独占的に仕事をしてもらうという方針でしたので、他の国が入らなかったことは事実です。ですから私のようにフランス極東学院の中に最初から入ってしまったことは、よかったと思っています。そして、極東学院の先生方が主として不得意な分野について私が担当したわけです。それは中国人がカンボジアについて書いた漢文史料のことです。フランスの先生方は碑文は読めるけれども漢文は読めない。そういう点で私が漢文をフランス語に訳して提出すると、それなりに役割を果したと思っております。
鹿野:私の記憶では広大な遺跡でありながら、そのひとつひとつの遺跡には、細部にわたって繊細なレリーフが描かれていましたが。
石沢先生:やっぱりカンボジア人の宇宙観といいましょうか、宇宙世界はどうなっているのか具体的なシナリオだろうと思っています。カンボジアの人たちは、結構自分達の生活に満足して生活を送っていました。彼らとしては、日本流に言いますと天空の極楽浄土、そういう世界を最終的にめざしている。だから来世が重要なのです。ですから生きているうちに、お寺だとか、お寺造りに貢献するというのが大きな徳で、必要だった点になるわけですね。それによって来世と極楽浄土に行って、また生まれ変わると。今生きている時代に善い行いをしないと、来世は惨めになる、そういう懲罰的な考えが頭の中にあったんでしょうね。
僧侶 回廊
[写真左:僧侶 写真右:回廊(写真提供:石澤良昭先生)]

カンボジア人による遺跡修復とその意義
鹿野:先生は、当初は遺跡の発掘調査が中心であったかと思いますが、内戦を経て、荒れ果てた遺跡をご覧になられて遺跡保存、それもカンボジア人の手による人材育成のプロジェクトを始められましたが、その辺の話を聞かせてください。
石沢先生:ポルポト時代が終わって、まだ内戦が国境付近で続いてましたけれど私は1980年にカンボジアに参りました。その時に、友人達がほとんど虐殺されていなくなっていたという現実がございました。それは、知識人抹殺という歴史的な事件で、今もその裁判をやっております。内戦前に、「一緒に遺跡を保存しよう」と約束していたカンボジア人の友人たちがいなくなったわけですから、私は、この遺跡は誰が守るんだという点で戸惑ったわけなんです。以前から、カンボジア人の専門家の友人たちが、結構フランス人の教えを受けながらしっかりやっている様子を知っていました。私より上手だな、という姿をみていたものですから、それが原点で、やればできるということで、カンボジア人によるカンボジア遺跡の保存修復というアイデアがでてきたわけです。
鹿野:しいてご苦労というと。
石沢先生:やはり何事も、カンボジア国の法律の下でやりますから、日常茶飯事的にいろんな問題がたくさんおこってくるわけです。日本で正しいこと、いいことが、カンボジアでは必ずしも正しいとは限りませんから、そのあたりの苦労話はたくさんありました。人材養成を始めて20年になりますが、カンボジア的だなという…例えば人の働き具合とか時間厳守だとか、日本人ならもう、すぐやるのに…ということもなかなかやらなかったり(笑)。歯がゆいところ、ままならないところはたくさんございました。しかし、カンボジア人はそこに住んで、アンコールの風に当たって雨にあたって生活しているわけです。祖先の人達もそうだったと、千年前もそうだったと思いますと、そういうカンボジア人的な感性があります。これがなぜ美しいかというのはカンボジア人が自分の感性にもとづいて遺跡や作品を造り出したわけです。それはある意味では民族的感性というのでしょうか、そういう点で彼らが修復保存に適任である。というのは何かというと、やはり「カンボジア人である」という存在理由があります。温度が高く、雨季と乾季があり、灼熱の太陽が照りつけるというところでずっと過ごしてきて、先祖たちはお寺を造営したわけです。そして今の彼らも現地に過ごしているわけですから、同じ感性を身体の中に持っているわけです。美しいものは何かという感じ方が時空を越えてできるのではないか。それぞれの美の基準の上に成り立って、そういう審美眼をもったカンボジア人の立場でカンボジア人が実際に遺跡を修復していく、そういうためのテクニカルな支援は私たちが教えてあげると、そういうことですね。

カンボジア人にみなぎる情熱

鹿野:10年ぐらい前に仏像が大量に発見されましたが、確か発見したのはカンボジアの方でしたよね。
石沢先生:つい8月18日に、6体の新しい仏像がみつかりました。場所は同じバンテアイ・クデイです。9年前に274対の仏像がみつかりまして、今回は9年ぶりに6体みつかったんですけれども、その時も今も、人材研修をやっていたんです。6名のカンボジア人の学生が参加して、トレンチをいれて穴を掘って、通常通り考古学の研修をやったんですね。地層はこういうふうにみましょう、地表のはぎ方、出てきたものを水洗いして、図面取りだとか、平板測量でその地図をちゃんと作って計測するんだとか、基本的なことを教えていますが、その教えている最中に出たわけです。そうしましたら、カンボジア人の学生さんの緊張度というか、やる気が…カンボジアは今でも暑いですし、授業というのはおもしろいものじゃないし、聞いて眠くなるぐらいだったのですけれど、それが俄然目が輝き少し興奮気味に、まったく「俺達が掘り出だしたんだ!」という気持ちが乗り移って、非常に上気しながらやったということです。それは274体の時もそうだったんです。カンボジアはどちらかというと、これまで暗いイメージでした。地雷があって、虐殺があって、難民があって、内戦があって、貧困があって…でも、274体が出た時もそうだったんですけれども、俺達の文化と伝統は違うと、俺達の歴史と文化はもっと深いんだという自負の面と、自信でしょうか、いままでわりとうつむき加減だったカンボジアの人が、急に上を向いて、誇らしげに語る姿を見て、やっぱり文化というのは人を助ける、人を高揚させる、頑張らせる要素があると思いましたね。6体出た時も、我先に働き始めました。

私達旅行者ができること

鹿野:我々はあくまでも観光という立場で今後も多くの方々をカンボジアにご案内したいと思っております。エジプトに参りますと観光立国ですから、観光が国を支えているというのは事実でありますが、一方で遺跡の保存と観光というのは大いに相反するところがあります。先生はその点どうお考えですか。

村の生活石沢先生:表裏一体ですよね。基本的には石でございますから、そんなに急に劣化して、観光客が増えたのでダメになるということはないと思います。強調したいのは、カンボジア人の、保存修復する若い人たちが増えてきている。彼らが彼らなりの考えでやり始めているというところがございますね。観光というのは産業の一つで、観光立国になっていくとは思いますけれども、たくさんの人に見ていただいて、カンボジアの伝統と文化は、東洋のギリシャといわれるような民族文化を誇りにしていただく、自前発掘と自国研究していただく、そういうふうになればと思います。カンボジア人たちが自助努力で遺跡をきれいにしようとしています。遺跡を盗掘から守ろうとしています。若い世代が守っていくように啓蒙活動をしています。そういう中で、観光にこられた日本人の方が、千年前のアンコール時代の遺跡のことを学ぶと同時に、カンボジア社会が直面している現代のいろんな問題――それは貧困だとか公衆衛生とかエイズだとか、たくさんあるわけです。遺跡を見ると同時に、近くの村に住んでいる人たちの生活状況も見ていただく。現在、農業を中心に村人が働いている日常生活風景を実際に見ていただく、それに加えて文化の魂である遺跡と両方見比べることで、立体的なカンボジアという国のイメージがつくられていくのではないでしょうか。[写真上:村の生活を垣間見る]
鹿野:随分、カンボジアを訪れる旅行者は増えましたが、身近にある世界有数の遺跡アンコール遺跡群とそこで暮らすカンボジアの人たちをこれからもっと積極的に、紹介していきたいと思っております。今日は、先生ご多忙のところ、たいへん貴重なお話をありがとうございました。

石澤良昭先生PROFILE
上智大学学長 石澤 良昭(いしざわ よしあき)
上智大学外国語学部フランス語学科卒。専門は東南アジア史・アジア文化遺産学研究。1982年より上智大学教授、2005年から現職。上智大学アジア人材養成研究センター所長、上智大学アンコール遺跡国際調査団団長。文学博士。 アンコール・ワット時代の碑刻文研究を中心として、50年近くにわたりアンコール遺跡調査・研究に従事。カンボジアにアジア人材養成研究センターを建設し、遺跡を守るカンボジア人人材を養成中。 主な著書『アンコール・王たちの物語』(NHK出版)、『アンコール・ワットの時代』(連合出版)、『東南アジア多文明世界の発見』(講談社)など多数。

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初めてのアンコールワット古都巡り
【旅の中の旅】 ラオス・カンボジア紀行

投稿:朝日インタラクティブ