出発地を選択してください。出発地はいつでも変更できます。
出発地を選択してください。
×
MENU

機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2010年08月10日

2010年8月10日 「旅なかま」2010年8月号 巻頭特集

tytle_10_08_cover_story.jpg
~時空を超える古代叡智の光とアラビアの魅力~    静岡県立大学教授  立田洋司

リビア/レプティス・マグナの都市遺跡 トルコ/エフェソスのケルスス図書館

[写真左:
リビア/レプティス・マグナの都市遺跡] [写真右:トルコ/エフェソスのケルスス図書館]

西方における人類歴史・文化の宝庫と言える「地中海から中東・オリエント地域」にまつわる話は、切り口次第で様々な変化を見せます。しかし、これを我が国の文化を意識した上で語れば、どんな景色が見えてくるでしょうか?

――時空超え 高き夢見ゆ 平城(なら)の宮――
 今、平城京(奈良の都)が誕生した時点から千三百年を経た時代。遷都1300年祭で萌えている奈良を訪れた友人たちは、久々に胸に熱いものが蘇って来た、と胸を張りました。――悠久のエジプト・メソポタミア文明や旧約聖書の世界、アナトリアに展開したヒッタイトやトロイの文明などには時間的には届かないけれども、日本文化の原点の一つを、生きた感性の場に呼び戻すことのできる私たちは、他の国や地域の歴史・文化を認識するための強力な拠り所をもっているとも言えるだろう、と。――そうした私たちが、今旅に出て、遙かな時空を超えて至高の文化の数々を感得する…。これは人間だけに与えられた奇跡的な才能とでも言えるでしょうか。

 さて、「あをによし寧楽(なら)の」時代といえば、イギリスやドイツなどいわゆる今日の西欧世界は、ほとんど空っぽと言ってもよい状況で、そのころの文化的軸線も動線も、地中海・オリエントに展開していました。その主人公がイスラームであり、ビザンティンだったのです。

 ビザンティンは、古代のローマが没落して以後、4世紀の初期キリスト教時代からルネッサンスが立ち上がるまでの時代を大きな戦争も無く、いぶし銀のように長く東地中海で文化の命脈を保ち続けました。その特異な歴史・文化の背景には、かつて同じ地に栄えた古代ギリシアやオリエントの叡智が秘められています。たとえば、「クリスチャン(キリスト教徒)」が世界で初めて組織されたシリアのアンティオキア(現トルコのアンタキヤ)は、古代における開かれたコスモポリタニズム(世界市民主義)を象徴する大都市でしたし、カッパドキアも、その後のキリスト教世界の基盤となった修道院コミュニティの大きな中心地でした。イスラームが台頭するのは、日本が国家を大きく整えつつあった7世紀以降、このオリエント・ビザンティン世界の一角からです。たとえば、ユダヤ・イスラエルにとっても大きな歴史的役割を担ってきたバビロニアは、637年にイスラームの支配するところとなりましたが、当地のユダヤ人コミュニティには大した混乱は無かったようです。無論当初、ユダヤ人は様々な文化・慣習的制限を余儀なくさせられましたが、アッバース朝(750~1258)の時代になると、事実上の自治を許されるようになりました。

 ある学者たちは近年、こうした「イスラームの寛容」を紹介しています。学者たちによると、イスラームがユダヤ人に課した「制限」は、それがキリスト教徒によってヨーロッパにもたらされ、彼らがヨーロッパに住むユダヤ人を強制したことにある、と言っています。ともあれこのような寛容と、強力なネットワークに裏打ちされたアッバース朝時代がまた、その後の世界の歴史・文化にとっても実に重要な役割を果たします。すなわち、イスラームとユダヤの、いわば二人三脚的な協力体制の結果、古代ギリシアやヘブライの文献が盛んに翻訳され、学芸が融合し、ヨーロッパ・ルネッサンスに先駆けた高度な文化が著しく進展したのでした。こうした事実に対しては、日本人の私たちは、このあたりで「知識の入れ換え」をしておいた方が良さそうです。

トルコ/カッパドキアの壁画 シリア/ダマスカスのウマイヤ・モスク イタリア/アグリジェント(シチリア島)のゼウス神殿

[写真左:
トルコ/カッパドキアの壁画] [写真中:シリア/ダマスカスのウマイヤ・モスク] [写真右:イタリア/アグリジェント(シチリア島)のゼウス神殿]

 今「ネットワーク」という言葉を使いましたが、ヨーロッパが空っぽだった頃、イスラームは実にインドや東南アジア、朝鮮半島まで大型の船を操って進出していました。――航海術。意外に思われるかも知れませんが、イスラームの技術は、古代ギリシア・ローマのガレー船を改良した強力な艦隊をも組織する力を有していたのです。ですから、かれらは、その船に古代の叡智とアラビアの魅力とを満載して、リビアやチュニジア、モロッコ、さらにはイベリア半島まで船足をのばすことができたわけです。新約聖書における「使徒パウロ回心」の舞台となったシリアのダマスカスを訪れると、壮麗なウマイヤ・モスクの不思議な佇まいに印象づけられますが、それも元はここが古代の神殿で、それが4世紀末にキリスト教会にコンバートされ(聖ヨハネ教会)、さらにその後8世紀の初め、ちょうど我が国の平城京ができた時代に建物の一部が転用されてモスクが建造されたことに依っているからでしょう。歴史を重層的に物語るこうした建造物は、この世界にはかなり残っており、一方の雄が今のイスタンブールの「アヤ・ソフィヤ大聖堂」です。

 コンスタンティノープル(イスタンブール)の文化はビザンティンの流れに乗ってイタリアにわたり、ダマスカスはイスラームのごく早い時期に地中海を跨いで、かつてフェニキアやカルタゴ時代から重要な都市だったイベリア半島のコルドバに、叡智の光を移植しました。そしてその時期も、我が「寧楽の都」の時代に一致するのです。繰り返しますが、往時の西欧はほとんど空っぽ、いわゆる「暗黒時代」でした。こうしたことを抜きにしてヨーロッパ文化を語ることは、今は逆に「偏見」であることを、私たちも知っておかねばならない時が漸く訪れたように思われてなりません。         (たつたようじ)

立田 洋司氏PROFILE
立田 洋司(たつた ようじ)
東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。同大学院修士課程(芸術学・西洋美術史専攻)修了。
現在、静岡県立大学国際関係学部教授。専攻は芸術学、比較美術史、東西文化交流史。
カッパドキア通史の世界で最初の著者でもある。
著書:『唐草文様』(講談社)、『古代アナトリアの遺産』(近藤出版社)、『トルコの旅』(六興出版)など

投稿:朝日インタラクティブ