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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2011年11月24日

2011年11月24日 旅なかま12月号 巻頭特集 遺跡が語るインド

〔本稿は会員誌『旅なかま』2011年12月号に掲載されたものです〕
インド 平岡三保子先生 ネバーエンディングストーリー

インドの多彩な表情はよく知られている。長く変転の多い歴史に多言語民族、異文化融合、広大な土地の地域ごとに異なる風土…当然、この地に遺されたインド美術の広がりと奥行は、類い稀な豊かさを持っている。私たちはインドを旅することで、先史インダス文明に始まり古代の仏教、中世のヒンドゥー教、近世のイスラームから近代の西欧(コロニアル)文化に関わる様々なモニュメントに接し、ダイナミックな変遷の物語を聴き取ることができる。しかしまた同時に、諸地方の色々な顔立ちの人々が紛れもなく皆インド人であるように、多様な造形の内には通底音のようなものが確かに存在し、それなりの「インドらしさ」を私たちに伝えてくる。その通底音の共鳴に、しばし耳を傾けてみよう。

アジャンター第26窟

インドで出会うモニュメントはもっぱら石造で、その大半が宗教色に彩られている。暴風雨が訪れる雨季と、激しい日照の乾季とが繰り返されるインドの風土は、木材やレンガを短命にする。石が残り、石に刻まれたものが私たちに語りかける。古来インドでは(近世・近代は除く)、概して王宮が木造・レンガ造であっても寺院は石造で建立された。当初は王宮建築装飾や壁画などの優れた世俗美術も存在したはずであるが、彼らが真に残したいもののプライオリティが違ったのだ。近世に入ってイスラーム勢力の破壊行為に遭ってもなお仏像や神像が溢れるほど残されていながら、王族の肖像がごく僅かしか存しないことも同じ理由であろう。仏教経典においてもヒンドゥー教聖典においても、紀元前より壮大な宇宙論が説かれてきたが、寺院建築は単に本尊を祀る堂宇ではなく、そのような宗教的宇宙の縮図=ミクロコスモス=とみなされる。その神聖な空間の永続性を望むがゆえに、じっくりと歳月をかけて石を切り出し、積み上げ、彫出するのだ。重厚な石造建築と、それを隙間なく埋め尽くすかのように丹念に刻み込まれた仏や神々や精緻な文様などの彫刻群とが渾然一体となったモニュメントには、人の魂を揺さぶるような迫力がある。

マトゥーラ仏立像

こうしたモニュメントを意味づける宗教観の根底には、仏教にせよヒンドゥー教にせよ、輪廻転生という思想がある。後者では宇宙自体もまた神々の力により創造?維持?破壊?再生を周期的に繰り返すと説かれる。完全なる終末が訪れることのない無限の時間の循環の中で、この世のあらゆるものは常に移ろいゆく。

エローラ

生々流転のサイクルが端的に了解される過酷で極端なインドの自然現象が、おそらくはそのような宇宙観を生み出したのだろう。しかし、とインドの思想家は逆説的に言う。「すべてのものは変化し続ける。そして全てが変化するという真理のみが永遠に変わらない」と!それは仏教における彼岸の世界。ヒンドゥー教における宇宙の最高原理。冒頭で触れたインド美術の「通底音」とは、つまるところ究極の真理(悟り)を求めるインド特有の宗教的情熱と呼びうるものではないか、と私は感じている。それはまた、諸行無常を理解する民が一方で普遍性を求める情熱であり、〈終わりのない物語〉の真実を、石という悠久なる大地の産物の力を借りて永らく語り継ごうとする執念、と言い換えられるかもしれない。

悠久のシヴァ エレファンタ島石窟

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投稿:朝日インタラクティブ