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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2011年06月01日

2011年6月 1日 「旅なかま」2011年6月号 巻頭特集 1

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 日本においてケルト文化を紹介した第一人者であり、ケルトから日本まで「ユーロ=アジア」の関係を追って装飾・デザイン交流史を研究している多摩美術大学教授 鶴岡真弓先生にお話をうかがいました。今こそ、「繋がり」を求める時―それはまさに私たちの旅のテーマともなりうるお話であり、約2時間に及んで語って頂きました。その一部をここに紹介させていただきます。

鶴岡先生と鹿野海外旅行部長
 本日は、大学の入学式のお忙しい中、『旅なかま』のインタビューに応じていただき、ありがとうございます。多摩美術大学の芸術人類学研究所にお邪魔しております。さすが美大、スタイリッシュな感じですね。先生ご自身も・・・。
 先生には20年前から「朝日移動教室」の講師として西欧の古代から現代を貫く多数のツアーをしていただきました。 わが国でのケルト文化の火付け役となり、『ケルト/装飾的思考』で受賞して間もない頃、第一回のアイルランドを皮切りに、英国、フランス・ブルターニュ、北欧、オーストリア・ドイツ、チェコそしてロシア・ウクライナとケルトを中心に北方ヨーロッパの文明を訪ねる旅をシリーズで同行いただきましたね。
 その後、先生はさらに東欧、中央アジア、シベリアなどユーラシアへと、現地調査の範囲を広げておられます。その旅と研究の話からお聞かせください。

 私は現在「ケルト」を含む「ユーロ=アジアの生命デザイン」を研究テーマに、ユーロ=アジア各地を歩いています。
 若い時からケルト文化の源もその中に入る「ユーラシア」の諸民族の伝統文化や芸術に圧倒的な憧れがあり、シベリア極東の少数民族を描いた黒澤明監督のアカデミー賞映画「デルス・ウザーラ」(1975年)も学生時代に観て、これぞと感動しました。「東の極み」日本とヨーロッパを繋ぐ地域、シベリアやロシア、中央アジアという、広大なユーラシア大陸の文化に魅せられていたのです。
 19歳の時にシベリア鉄道に乗ってハバロフスクやバイカル湖を訪ねました。自然の精霊を恐れ敬うシャーマニズム、つまり山や岩や木や水や動物たち。自然のスピリット(魂)を恐れ敬う精神に出会い、おそらく最初にその時「ユーロとアジアは繋がっている」と拙いながら直観したんですね。そして近年36年ぶりに再びシベリアを訪れ、その10代のころの観方が間違いではなかったと再認識させられました。
 「デルス・ウザーラ」の主人公はシベリアの少数民族ナナイ族。今回、アムール川に沿う彼らの村を訪ねました。魚の皮で服をつくり、白樺の皮で生命的な「渦巻文様」を造形して、宝石箱のような食物容れ等をつくる人々に出会えます。白樺容器や動物の造形はアイヌの人たちにも伝わっていて、北海道もシベリア共通のダイナミックなオホーツク文化圏の中にあり、「日本もまたユーロ=アジア世界」なのだと、彼らの文化から逆に再発見させていただけるのです。
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 「ユーロ=アジア文化や芸術」の最大の共通性とは何でしょうか?
 そうですね。例えば日本にも鎮守の森があり、自然の神々を崇拝してきました。北欧・東欧やウクライナからバイカルや沿海州まで共通して白樺など「樹木の精霊」を拝みますね。「自然のスピリットを敬う」心は、アフリカや南米からイヌイットまで、各地に見られる重要な信仰ですが、特にケルトからシベリアまで非常に深く、たどることができます。
 今日ヨーロッパで精霊を恐れ敬う信仰を一番色濃く伝えているのが、私の研究してきた「ケルト文化」といえます。朝日旅行でアイルランドからウクライナまで様々な国を訪ねましたね。
 注目すべきは大陸のケルト人たちが自然信仰の中で「金属」の技術や芸術を早くから身につけたこと。金属は土器や木工やガラスと違って、火にくべればまた違うものに「メタモルフォーズ=変容」する。非常にミステリアスな素材です。
 奈良の盧舎那仏(大仏)も、平城京の頃は燦然と輝く金色で、金属、特に黄金は「地上の太陽」であった。つまり鉱物も命をもっていて、元は大地の中に「生命として」埋まっていると考えられてきた。ケルトのような文明の古い人間たちが、お産婆さんのようにそれを大地から取出して、文明の利器ともした。

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 黄金は最強で最高の生命の輝きであるという思想はインド、イラン、シベリア、日本にも共通し、ヨーロッパでは最も早く金属を使い始めたオーストリアのハルシュタット文化以来、ケルトの思想にあり、あのような生命的文様が施されたのでした。
 「金属文明」と「生命思想」は実は私達日本人の日常にも行われてきました。お仏壇で亡くなった人を偲んで鐘を「チーン」と鳴らす。それは「WAKE」つまり「目覚める」―眠っているものを起こす、つまり死者や精霊達、ご先祖のスピリットを蘇らせる。「鎮魂」と同時に「霊を目覚めさせる」祈りの行為なのです。
 いかにもヨーロッパの教会でも「金属の鐘」を鳴らします。権威を示すのではなく、これも鐘=生命的金属の音に聖なる霊魂の目覚めを、共同体全体で感覚することにかかわっています。その源には、いまお話してきたユーロ=アジア共通のシャーマニズム的な祈りに遡ると思えます。
 これはあらためて、人々の心を突き動かす、輝く青銅や黄金が「生命」であるというケルト人の思想と繋がっていることがわかります。中国、インド、メソポタミア、エジプトにもその思想があり、鐘を人間の手で鳴らし、スピリットに「WAKE」してもらい、生者に力を与えてくれる、交流していただく。鈴や鐘を鳴らすなど、一見一部の宗教の習慣かと思いきや、ケルトからシベリア、モンゴルからアルタイなどを歩いてみると、実はそれがユーロ=アジア世界を貫く「生命」の思想と営みであり、今の私達に連綿と伝わっている祈りの形であると気づかされるのです。
 日本とヨーロッパはユーラシアを介し壮大に繋がっていると言うことですね。
 はい。西欧から見れば日本は、文明のダイナミズムからはずれた小船のようなイメージで捉えられてきましたから、日本人の研究者が、日本とユーラシア、極東とヨーロッパを繋ぐというのはこれまでは、なかなか理解され難かった研究でした。しかし最近、大英博物館で土偶展が開催され国際的術語として「DOGU」が紹介され、私はロンドンでのシンポジウムで、日本の縄文を最古級として、ブリテン諸島の先史やケルトから、極東まで、一連で繋がっている先史の文様などの芸術表現があることを指摘し発表しました。かつて世界の中心にいたイギリスの人々に向かって「ユーロ=アジア」の見方を日本から提言するのは勇気が要りましたが、シルクロードの時代よりはるか昔の「1万年前」には、世界は繋がっていた。「それはイギリスが繋いだんだ」という意見もありましたけど、わが国宝にも指定されている縄文土偶の装飾はアフリカ、ケルト、中国などの造形に通じ、クロアチアやルーマニアやハンガリーの博物館にも比較できる像があります。リトアニアの研究者ギンブタスの『古ヨーロッパの神々』(鶴岡訳・言叢社)にも明らかにされています。
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 なるほど、つまり東も西も、「精神的なもの」は「ベーシックなものから見えてくる」ということですね。
 そうですね、人間の抱くベーシックな思想、想いというものは、土地によって違うのではなく、根底で通じ合っていることが「ユーロ=アジア世界」という視点を携えて旅するとよく見えてくる。人間は誰しも「生命の輝き」に憧れ、それを探求し、「再生への力」を共に祈る。今のアラブ世界では、体制を変えていく希望に生命を輝かせ、失われたものを再生するために邁進したいと考える。
 この命の輝きが「生命のデザイン」となってそれぞれの文明、地域で、共通性をもちながら少しずつ変容をみせるのです。「生命のデザインは細部に宿る」と言うべきでしょう。一見、同じように見える渦巻文様が、一万年前くらいは縄文ではこう、アラブではアラベスクというように、絶妙に変化し、展開してゆく。
 そして人間の普遍的に大事なものというのは地、水、火(光)、風いわゆるフォーエレメンツ、四大で、縄文ではこう表現するし、ケルトではこう、シベリアの人はこう・・・と、少しずつ違う所があると同時に、それが途切れず繋がっているところがまた、面白いんです。
 そもそも「歴史」は途切れずに繋がっているゆえに、教科書に書かれていない実はドンデン返しがたくさんあります。古代のフランスにはケルト人の「ガリア文化」がありました。ローマ史中心でしかみないとカエサルがガリアを征服しました、となりますが、フランスの人々はルネサンス時代から「古代ガリア」を誇りとし、ローマに征服されっぱなしではないと。フランス人の誇りというのは対ローマであり、ローマへのリベンジをやったのが、フランソワ1世でした。ダ・ヴィンチは最後にロワール川沿いのアンボワーズ近くの王の城で亡くなりますが、イタリア最大の芸術家をフランスの王様が抱えるということは、かつてのローマ征服に対する文化的リベンジであるという視点で見ると、実にまた深いのです。
 つまり「ルーヴル美術館にモナリザがあるのはフランソワ1世が最後に抱えたから」、と説明してしまうと単なる美術史にすぎませんが、「ガリア史」を知れば、ローマに「ガリア」が支配された、その古代以来、一五〇〇年間の両者の壮絶な歴史の中で、モナリザもまた輝かしい人質として「フランスに捕獲されている」と考えてみることができるのです。
 モナリザがあんなに有名になったのは、フランス人のそうしたキャンペーンがあった。名画かもしれないけど、何であんなにしつこくフランス人がイタリアの巨匠の作品を繰り返し称揚するのか。私はローマに対する思いが蓄積されているからだと思っており、目下「ガリア史」について書いているところです。フランスはケルトとローマの攻防、「ガリア史」から見るとまたとっても面白いのです。(河出書房新社・近刊)

 ところで先生は、多摩美大に来られる前に、京都の立命館大学にいらっしゃいました。世界と京都の繋がりはどうですか。
 京都は「和の文化」のメッカといわれていますが、実は「異国の文物が蓄積された都」だという視点から現在も調査を続けています。典型的なのは祇園祭。その装飾はペルシャ、ポーランド、イングランドなど異国のカーペットと織物からできています。「ポーランド風」を「ポロネーズ」と言いますが祇園祭でもポーランドの市場を通して舶載された中東の絨毯を「ポロネーズ」と呼び伝世された。あのクラクフの織物の取引所と京都が繋がっていたのです。つまり都というのは異文化と交わり、むしろ「異国の美」を蓄積していることがステータスなのです。パリもヴェネツィアも。京都も異国の美の都。調査の成果は『京都異国遺産』(平凡社)にまとめ出版しました。

 最後に、先生がお考えになる「旅」とはどういうものですか。
 旅をするということは、行った場所のことを学ぶのはもちろん、それを超えてその国や地方や人々が、また「どの異文化と繋がっていたのか」という無限のチェーン、連鎖を発見するものだと思います。だから旅には終りがない。西洋がわかったから東洋に回帰するではなくて、文明や文化はゆりかごのように揺れ、育まれ、巡り巡って循環する。人類、人間の普遍的な想いとは何かを考えながら旅したら、より深まると思いますね。
 「地球は一つ one earth」という精神で繋がりを探していきたいですね。日本にはお互いを思いやる心が生きている、と世界から見ていただいている。私達の「旅」もまた、そういう「想いのへの誇り」を再認識しつつ、異国を再発見するというステージに入っている。外国に旅するという事は、今までは日本との「違い」を探しに行く旅でしたが、今は、わが国の伝統や歴史が、「いかに異国と繋がっているか」という見方で、「共通項を探しに行く旅」の時代に、入ってきていると思うのです。
 今日は、長時間、壮大なスケールのある興味深いお話をありがとうございました。

鶴岡真弓先生PROFILE
鶴岡 真弓(つるおか まゆみ)
常陸の国生まれ、おとめ座。早稲田大学大学院修了後、アイルランド、ダブリン大学トリニティ・カレッジ留学。処女作『ケルト/装飾的思考』(筑摩書房)で、わが国でのケルト文明芸術理解の火付け役となる。『ケルト/装飾的思考』『ケルト美術』(ちくま学芸文庫)、『装飾する魂』『ジョイスとケルト世界』(平凡社)、『装飾の神話学』『ケルトの歴史』(河出書房新社)、『「装飾」の美術文明史』(NHK出版)、『黄金と生命』(講談社)、『京都異国遺産』(平凡社)、『阿修羅のジュエリー』(理論社)など多数。NHK教育TV「人間大学」出演。ドキュメンタリー映画『地球交響曲第1番』(龍村仁監督)でアイルランドの歌姫エンヤと共演。

著書紹介
「阿修羅のジュエリー」(理論社)
仏像から聖母マリア、ルネサンスの貴婦人、近代名画のサロメ、シュリーマン発見の財宝などを東西に訪ねて、ジュエリーから携帯ストラップまでを、豊富なカラー図版や楽しいイラストとともに、読み解きます。

投稿:朝日インタラクティブ