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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2012年10月11日

2012年10月11日 旅なかま10・11号 スペインをとおしてみえたもの

〔本稿は会員誌『旅なかま』2012年10 ・11月号に掲載されたものです〕
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対談 スペインをとおしてみえたもの 早稲田大学文学学術院教授 清水 憲男先生 pickup_2012_1011_spn_stitle01.jpg

鹿野:本日は、スペイン文学がご専門の清水先生の仕事場をお訪ねしていますが、大変な蔵書に囲まれたお部屋でインタビューをさせていただきます。まず先生とスペインとのかかわりといいますか、どんなことから始まったのかからお願いします。
清水:私が初めてスペインに参りましたのは、1969年、大学の3年から4年になる春休みに3週間ほどです。まだ海外旅行など気軽に考えられない時代に何故行ったのかというと、スペイン語を専攻した以上、一度くらい飛行機に乗ってスペインに行きたいなあという憧れがありまして。その唯一の方法が、その当時朝日新聞社が主催していた、「優勝すると副賞としてスペインにタダで連れて行ってくれる」という全国スペイン語コンクールでした(笑)。
鹿:大学生が対象だったのですか?
:社会人でもいいんです。一応予選を通って、大学生も何人かいましたけど、プログラムに職業「通訳」という方もいました。かなうわけがないと思いましたが、通訳の人からしたら私なんてまったく相手にならないと思ったんでしょう。自分が負けるはずがないと、逆にアガっちゃったんでしょうね、すっかり動転してしどろもどろになってしまった。私は絶対無理だと思って、逆に落ち着いちゃったわけですよ!(笑)それでドサクサ紛れに優勝して、タダでスペインに行けたんです。帰国して改めて大学院を終えて、スペインに留学しました。その時代はフランコ独裁の時代で、73年から3年半ほどおりましたが、おもしろい時期でした。
鹿:先生は相当謙遜しておっしゃっておられると思いますけど。私が初めてスペインに行ったのが78年で、フランコ将軍が亡くなって3年ぐらいたっていたのですが、若い人たちが車に乗って旗を振りながら街を走っていて・・自由を謳歌していたことをよく覚えています。その後、自由化が進んで、92年のオリンピックを境に一気に経済発展が進み、その後、日本同様バブルがボンとはじけた。国中の道も一気によくなり、旅行はし易くなったんですが、国全体が標準化されてしまい、失われたものも多かったように思います。

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:それはおっしゃるとおりだと思いますね、バルセロナ・オリンピックがあって、スペインがEUに入ると、色々なプレッシャーがかかったせいで、道路の整備も進み、ピレネー方面の道なんてめちゃくちゃで、絶壁のとこに柵もない状態だったのに、みごとに整備されてしまった。いわゆるヨーロッパ化、平均化されてしまうというマイナス面は当然あるんですが、それでも必ず残る普遍的なもの、変わり難いものがあって
、だからこそ日本のようなとんでもなく距離のあるところから、毎年10何万人かが押し寄せる。スペインの個性がなければスペインはもっとつまらない国になっていると思います。

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鹿:どこへ行っても南北問題というか、一つの国でありながらこれほど違うのかということがあり、特にスペインは地域によって民族や言語、慣習とあらゆるものが違っていますが、一つになりにくいスペインが、EUになってもスペインとして一つであるということに矛盾を感じるのですが。
:スペインは4つの言語を公式言語として認め、それぞれの共同体というものを区分化して17からの自治州を認めていますが、時にはネガティブに、つまらないいさかいもおこるでしょう。けれどもヨーロッパ全体を考えると、いい悪いは別として、内々でうまくいっていなかったとしても、自分達もその一員であるという事実はかわらないのでスペインなりのアイデンティティを出していかなければならない。どのようにするかというと、歴史的な問題がありまして、フランスのナポレオン3世がメキシコ出兵をやったとかというのはともかく、EUの中にあって、あんな広い中南米に繋がりうるのはスペインだけであると。それからイスラム世界と繋がりうるのもスペインであると。そういうアイデンティティをどこまでスペインが意識して、文化力として使っていけるかというのは未知数だと思いますけれども、それを主張しない限りスペインはワン・ノブ ゼムです。今、経済的に非常に苦しい状況ですが、スペインというちょっと異質な国があることによってヨーロッパそのものの多様性が主張できてるんじゃないかという気がしますね。

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鹿:スペインの位置もそういう位置ですよね。南と西へという、そういう意味でのEUの中でのスペインの他との違いを今後、生かせれば、スペインは力を発揮できると・・
:スペインは、フランスやイタリアなどに比べると、異文化に対して対応する力が本来長けていた国のはずなんです。711年にイスラム教徒が入ってきて、形式的には1492年に敗北をイスラム側がするわけですけど、その間、どういう状態だったかというと、古代ローマや西ゴート時代のものとは違い、要するにイスラムとスペインが「共存」していたわけで、必ずしもケンカばかりをしていたわけではないけれども、お手てつないで何かやっていたわけでもないんです。しかし1492年にキリスト教スペインになって以降、ましてや20世紀以降EUの問題が出たときに、長い目でみたら慣れていたはずの「異文化との共存」がうまくいってないんですね…。
鹿:ちょっと脱線しますけど、イギリスやフランスの植民地の持ち方と、スペインが南米を植民地にしたのは決定的な違いがあるのでしょうか。
:ひとつはやっぱりキリスト教という問題があると思います。日本では中高の世界史の教科書で、スペインがどうしたこうしたというときに、いわゆる力に訴えて「征服した」というネガティブな面・・・それは事実なんですけども、スペインは向うに行くときにローマ教皇庁と「5つの教書」という約束をしていて、どういう世界でも発見した場合は「土地はスペインにあげましょう。ただしキリスト教を伝えること」という条件があったわけです。物理的な征服とともに、精神的な征服というのがあり、金銀財宝を奪うだけではなく、ドミニカ、ペルーなどでは早くから大学や教育施設をつくりました。すぐに教育をしようとした征服なんていうのはまったく非常識なわけです。今でこそ中南米に行くとスペイン語があたりまえですが、最初から先住民にスペイン語を覚えろといってもできるわけないので、征服者や宣教師がまず先住民の言葉を覚えているわけです、先住民でも大きい団体もあれば小さなグループもあるけど、マイナーな言語の場合は消えてしまっている言語もある。ところが宣教師達が書いた記録によって貴重な資料が残っている。そのような「征服」というのは本来ありえません。
鹿:イエズス会の宣教師たちが先頭にたって、布教と占領を兼ねていたと?
:イエズス会や、フランシスコ会という修道会ですね。フランシスコ会というのは、そのころ終末論「世界が終わりだ」という発想が強かった。そうすると、世界が終わってしまうのだから、人間である以上神がお造りになった先住民達がキリスト教を知らないなら、その人たちを一刻も早く救わないといけないということになってきた。征服だけが日本では強調されているのはまずいんじゃないかと。
私は正当化する立場ではありませんけど(笑)
鹿:イギリスやフランスとはだいぶ征服の仕方が違いますね。例えば、スペイン人の気質にも現れていますか。先生はたくさんご友人がいらっしゃると思いますけどどのような・・

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:スペインというのは、人種的にみても、るつぼなんですよね。フェニキア、イベロ族という先住民族、ゲルマンが入ってくる、イスラムが入ってくる。トレドを中心にユダヤは非常に力をもっていましたが、ユダヤの人たちは文化的にもレベルが高かった。中世を考えますと、ユダヤ系で教養がありさえすれば、ヘブライ語ができ、スペインに長く住んでいるからラテン語ないしはスペイン語ができ、かつアラビア語を母国語とするイスラムの人もいた。ですからラテン語、ヘブライ語、アラビア語というとんでもない主要言語が集中する。それをほったらかしておく手はないと、トレドを中心とした翻訳学派ができる。よくスペイン語に貴重な文献を翻訳したといわれていますが実はラテン語に翻訳したんです。それでスペイン以外の国にも役立ったわけですよね。ですからアリストテレスのギリシャ語のものがいったんアラビア語経由でラテン語になり、原文はなくなったけれど翻訳が残っていたお陰で現代にも繋がってるとかね。常にスペインに異分子が入ってきたというと征服で考えるんですが、その側面はあるもののスペイン人は巧妙に文化を取り入れていくということですよね。だからその寛容があって、ジプシーがインド辺りから流れて、最終的にはスペインに落ち着くというのも、ジプシーに対して寛容なわけです。自分達自身がるつぼであるので、ジプシーを排除するというのは自分達を否定することになると。

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鹿:ところで、スペインを旅していると、各地にそこでしか味わえない・最も輝いた時代のものが…。例えばバルセロナなら19世紀のモデルニスモの建築がよく見られますね。ちなみに先生はピレネーがお好きだと伺っていますが。
:ちょっとキザな言い方をしますと、時間が完全に止まっているところにピレネー独特の風が吹いているんですね。もちろん我が家も窓をあければビル風が吹きますけれども、私がピレネーで最初にショックをうけたのは、ビエリァというところがあって、そこから車で15分くらいのところの高台に展望台があるんですが、そこに立つと、谷あいから風が吹いてくる。あたりまえなんですけども、その風に吹かれているときに、根拠のない「待てよ、この風違うなあ」という直感をもちまして、よく考えてみたらその風は建物、ビルをまったく経由していない風なんですね。その「時間がピタっと止まっている所に風が吹き続けている」という当たり前のことに対する驚きですね。日本は非常に便利な国ですので、海外の取材番組をテレビやインターネットでかなり観ることができ、しかも最高の位置からプロのカメラマンが撮っているわけですね、ある意味それで充分なわけでしょう、本当でしたら。ところがその技術がどんなに進んでも、私達が体験できないもの…いくつもありますが、その一つは「風」なんですね。風も匂いもテレビやネットは伝えてくれない。それを一度体験してしまうと、また行くしかないというようなところがありまして…。
鹿:今日のインタビューで最後にお聞きすることがここで・・
:日本で買ったら20万円のバッグが向こういけば10万円で買える、などという差額があるかもしれないけど、飛行機代で、もっと使ってますよね(笑)。それだったら、せっかくならやっぱり向うでしか体験できないことをしたほうがいいと思います。食べ物だけじゃなくて、最後はやはり先ほどの、風景の中の「風」であるとか、ちょっとした子どもの仕草なんかも。今こういうインターネットの時代で、ある程度操作ができて、スペイン語に限らず英語でもよいのですがそこそこ力があれば、かなり細かいところまで知ることができます。ところが、情報はあくまでも情報の段階に留まり、「価値」の段階にきにくいんです。「価値」というのはこちらが自分で発見しなければならない。つまりひょっとするとスペイン人はその村の何々に価値を見出していないかもしれないけど、私達にしてみれば、とんでもない価値があるかもしれないというところも含め、自分なりの価値を見出していくこと。そしてこれは言い過ぎかもしれませんが、本当の旅行というのは、向こうに行って感動するというだけではなくて、むしろ日本なら日本に帰って来てから、段々深まり、豊かになることではないでしょうか。極端な言い方をすると、5年たって、10年たって、そのことが記憶からほとんど消えてしまったとしても、それが全く無意識のところで自分の人と成り…と言ったらキザになってしまいますが、そういうものに影響を与えると。私は「意識されるもの」ではなく「意識されないでその人を動かしているようなもの」が「本当の影響」だと思っているんですね。ですから旅行を終えてから旅行が生きてくるという旅があってもいいのではないかなあという気がしております。
鹿:複雑な歴史を辿ってきたスペインの話から、旅をするという本質のお話まで、今日は本当に奥深い、中味の濃いお話をありがとうございました。

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2013年スペイン特別企画
2月末~3月出発で貫井 一美氏(スペイン美術史家)による「プラド美術館とスペイン美術の講演」とティッセン・ボルネミッサ美術館貸し切り特別鑑賞ツアー「スペイン美術の至宝を楽しむ充実の旅」全6コースを発表いたしました。
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投稿:朝日インタラクティブ