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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2012年02月14日

2012年2月14日 旅なかま2012年2月号 巻頭インタビュー 謎多きトルコ

〔本稿は会員誌『旅なかま』2012年2月号に掲載されたものです〕
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鹿野(以下「鹿」):本日は静岡県立大学の立田先生の研究室にお邪魔しています。先生のご専門は古代オリエントとお聞きしておりますが、トルコに関する著書が多いのはどうしてでしょうか。先生とトルコの結びつきからお話を願います。

立田先生(以下「立」):古代オリエントから研究を始めたのですが、研究の性格上、比較文化や美術史、建築、絵画、彫刻、そして宗教が絡んできて、そうするとテーマも一筋縄ではいかない。いろいろなことが絡んできて楽しいことは楽しいけど、こういう世界に入ったら苦しみの始まりでもあるわけです。トルコに行ったのは、大学院時代にカッパドキアの調査隊に一番下っ端として参加させてもらったのが最初で、それがきっかけではまってしまい、楽しみの始まりでもあるけど苦しみの始まりとなったわけです。何故かといえば、調べれば調べるほどわからないことが増える。この学問は18世紀くらいに始まり、本格的に発展していくのが20世紀の後半です。実際、東地中海からトルコにかけては歴史の宝庫であって、秘密がいっぱい眠っていて、誰かが解き明かしても、またちょっと違う視点から見直されたり、そういう意味で好むと好まざるに関わらず、はまってしまうわけです。日本で実際に歩いて研究をした人というのはまだまだ少ない時代だったから、そういう意味では幸せだったかな。

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どこまでも奥深いトルコ

鹿:私もトルコへ何回か行って実感しましたが、あまりの歴史の層と申しましょうか。古代世界の後、キリスト教、イスラム、ビザンチン、そしてトルコ民族についての知識がないと理解不可能となります。トルコを理解するには、専門分野だけではどうにもならない・・・
立:どうにもならないですね、僕が古代から入ったと思われているのは、最初の著作が「古代アナトリアの遺産」だったということからであって、調査隊そのものは中世ビザンチン文化の研究でした。僕は東京藝術大学に在学中、奈良にある大学の研究室によく行っていて、そこでいろいろなものを見ていました。奈良は子供の頃からよく祖母に連れられて行っていましたが、大学に入って勉強するようになると、当然子供の頃と見方が変わってくる。例えばシルクロードの東の終点が奈良であるという確証を得たいとか、正倉院展を観ても確かにこれはペルシャのものであるとか、どうしたってシルクロードの西の方に興味がいくわけです。そういうことがあって調査隊の調査対象はビザンチンだったけど、実はこれが大事なことで、ローマの没落で古代が黄昏てしまったものの、何らかの形でビザンチン文化は古代の英知を残している。どこか古代の匂いがする。それが西ヨーロッパとは違う点でしょう。
鹿:トルコほど言葉の響きと、実際に見るものとにギャップがある国はないのではないでしょうか。
立:20~30年前まで、トルコといってイメージが湧く人は余りいなかったんですよね。今はトルコ、トルコと皆さん言うけれど、若い人たちはまだまだ。大学で教えていて、初めてトルコに興味持つという学生がでてくるぐらいですから。「比較文化論」みたいな講義でしゃべっても、ほとんどが初耳らしい。トルコの実情はほとんどわからないし、受験勉強の中ではほとんどでてこない。これは不思議。
鹿:そうですよね。「トルコ」という意味での歴史はせいぜい900年ぐらいで、それ以前がもの凄く長い・・・。
立:ビザンチン、さらに古代ローマからギリシャ、さらにずっと遡って、最初の帝国ヒッタイト。ヒッタイトは先住のハッティ人などを傘下におさめた侵入民族です。直近の研究では自分たちのことを「ネシャ人」といっていたらしいけれど、そういうことは日本で座学していても絶対入ってこない。ヨーロッパの横文字を縦に直してヨーロッパ人の歴史観で我々は学んでいた。これはおかしいんじゃないかと思って。東洋人の視点から見ないと、やはり深いところは見えてこないだろうと。これは僕の一貫した姿勢なのだけれど。
鹿:私も、昔先生とご一緒した時、思いましたけれど、いついつ時代の遺跡だとか建物だとか思って観ていますけど、実はその元になったものは更に何百年も前で、時代とともに変遷してきて、今、目にしているのは、ある時代に築かれた一部を見ているという認識に立つ必要があることを、トルコではよく実感しますね。
立:そうですね。例えばイスタンブール。ヨーロッパ人の観点では都市の起源は紀元前7世紀半ばのビザンティオンですが、近年イスタンブールの地下鉄を掘っている時に、8千年前の港の址が出てきた。そうなると歴史はどうなるの?!っていう感じでしょう。ヨーロッパ人による従来の歴史書を書き換えなければいけないわけです。

未知なる南トルコ・東トルコ

鹿:ところで、先生は昨年の9月に南トルコへ行ってこられましたけど、私たちも今年は、新たな旅に取り組もうとしています。これまでの定番トルコツアーを脱して、南の地中海・エーゲ海沿いのトルコと、東トルコ、そして景色だけでなく歴史の宝庫でもあるカッパドキア滞在の旅を企画します。
立:それはいいですね。

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鹿:エーゲ海から地中海にかけてのトルコは、遺跡の宝庫で、以前先生からあそこは「オリエントとギリシャを結ぶ桟橋だ」と伺ったことあります。訪れると実に美しく、海の色は信じられないほどのコバルトブルーで、夏にはヨーロッパ人のバカンスで植民地化するそうです。あまり日本人は行く人は少ないですけど。ひと言でいうとどういうところですか。
立:日本はアジアの国というけれど、アジアというのは元は今のトルコの西の方のことです。そういう意味で、我々はもうちょっとアジアの地理的な拡大の原点を知るべきでしょう。トロイの南に、アッソスという古代都市があって、それがアジアの語源となった説があります。そのアッソスの近くにアレキサンダー大王がやってきて、アレキサンドリア・トロアスという町を建てた。それくらい昔は重要だった。
これまで日本人はトルコに行ったというけど、点と点を結んだ限られたレールを歩いているような旅行がほとんどだと思います。それはトルコを矮小化してしまう。トルコは元はアジアで、その中にギリシャの先進学芸都市があって、それがイオニアです。鹿野さんが言われたヨーロッパ人の代表的なリゾート地がボドゥルムですが、古名はハルカリナッソス。歴史学の父のヘロドトスが生まれたところで、イギリス人が何故か大挙してやってくるという奥底には、単なるきれいなリゾートだからというわけだけではなくて、そこが歴史学の父ヘロドトスゆかりの地ということであって、「世界の七不思議」のひとつマウソレイオンという霊廟が建っていたという非常に遠大なバックグラウンドがあるわけです。

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マウソレイオンは紀元前4世紀ですよね。アレクサンダー大王のちょっと前。アレクサンダー大王が破壊してしまうのですが、そういう時代というのが、実はヨーロッパ人の目で見て一番尊敬できる世界なんです。イギリス人フランス人、そしてドイツ人が後を追っかけてくる。イオニアはヨーロッパ人の観点では紀元前1200年頃から自分たちの精神的な祖先=ギリシャ人が住んだということでしょう。しかしヨーロッパ人が考えた精神的なルーツのずっと前から実はアナトリアにはいろんなものがあった。世界最古の都市遺跡チュタル・フユクなどもそのひとつです。
鹿:先生、夏に東トルコの旅を企画します。かつてのイメージは秘境とか交通の便が悪く、ホテルも食事も厳しいというイメージだったのですが・・

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立:僕も若い頃よく行ったけど、確かに泊まるところはね。僕は若かったから、別にどんな所でもよかったけれど、日本人のツアーが行くと、不平がいっぱい出てくるようなところばかりだった。しかし今は、トルコは非常に経済成長していて、その内にイタリアを追い越すくらいの勢いです。車もトルコ組み立てのベンツがあって、ある人に言わすとトルコ製のメルセデスのほうが故障が少ないと(笑)。そして、近年は道路事情が大幅に改善されて、旅行がぐっとし易くなりました。

聖書の原点トルコ

鹿:ところで、トルコは聖書の舞台で、西は聖パウロが歩いたルートなど新約聖書ゆかりの地が多く、東は旧約聖書、信仰の父アブラハムやあのノアの箱舟で有名なアララト山も・・
立:そう、まだまだ知らない世界がトルコにいっぱいあってね、キリスト教はヨーロッパだと思っている人が多いけれど、どこからスタートしたかといったらシリアのアンティオキア=今のトルコのアンタキヤですよ。そこで協議会が開かれて、パウロたちがキプロスからトルコ・アナトリアに渡って布教を始めたのが、世界宗教への道の第一歩なんです。それはね、その当時の先進地域を内包するアジアが今のトルコですから、黙示録にある「アジアの7教会」がやがて建てられていくわけで、キリスト教の早い時期の布教の様子がアナトリアには詰まっている。その前の「旧約」となると、そもそも歴史は、アブラハムがウルというメソポタミアから廻ってハランというところに着いた時点から始まる・・それまでは伝説で、ここから確かな歴史が始まると。だから旧約も新約も、原点がトルコにあるといっても過言ではない。東トルコにはいろいろと珍しいところが多いけれど、その中でも、興味深いのが今世界遺産になっているネムルート山。あれは本当にあの当時の国際交流を表しています。要するに東と西の図像が出会って神々の像が造られ、神様と神様とが握手するわけです。そこで何が起こったか。近くにチグリス川があって、ちょっと行くとメソポタミア。エジプトも入ってきている。その当時、そこで何が起こっていたか・・・握手しているということから考えるべきでしょう。まあ、きりがないですけどね。

深く、広く、謎多きトルコ

鹿:話は変わりますが、私はギリシャに行った時に、20世紀初頭に現在のトルコに住んでいたギリシャ正教徒100万人とギリシャに住んでいたイスラム教徒50万人を交換したという話を聞きました。
立:まだ100年もたっていませんね。それまで千年以上住んでいたわけで、僕も調査隊でカッパドキアに行った時、シナソスという村出身の若者に出会ったけど、彼はトルコ人じゃないんですね、顔がギリシャ人で。つまり彼らは土地に根付いていたということですよ。普通、イスラムの国ってお酒はないでしょう。でもトルコは飲むよね。ひとつは、キリスト教徒との共存時代が長かった。カッパドキアはワインをつくって今でも醸造所があるでしょう。あれは簡単にいうとイスラムが、「いいですよ」「我々が保護してあげますよ」とコミュニティを守ったことへのおみやげみたいなものです。だからなぜイスラムの国のトルコでも、ワインがつくれるのかとか、ビールが平気で飲めるのかというのはそういう歴史が絡んでいるわけです。
まだまだ話しつくせないことばかり・・・、なにしろトルコは国土が大きい。イギリスやイタリアの三倍。そのほとんどに宝物が眠っています。これは凄い・・・!
鹿:エジプトのようにナイル川流域だけでなく、国土全域にあるわけですね。
立:今の地図で見ると、エジプトは広いと思うけれど、いわゆる昔のエジプト王国はナイル川の谷の中とデルタだけですから。それは我々の錯覚なんですよ。
鹿:確かにそう考えるとトルコは広大ですね?!
立:今、トルコには、テペ(遺丘=遺跡の丘)というのが、12,000から14,000もあると言われています。発掘された遺跡はほんの一部ということです・・・
鹿:まだまだ話は尽きませんが、先生が40年以上も関わってきたトルコについて、今日はお話を伺いました。本当に果てしなく深く広がりのあるお話をありがとうございました。

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投稿:朝日インタラクティブ