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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2012年09月03日

2012年9月 3日 旅なかま9月号 多様性と統一性が 同居するETHOS(エートス) インド

〔本稿は会員誌『旅なかま』2012年9月号に掲載されたものです〕
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通低音のインド

鹿野:先生は大学でインド美術を専攻されましたけど、インドに興味をもたれたきっかけは・・
平岡:いくつもの出会いがあって、一言では難しいのですが・・まず小学校6年生の時、大阪万博でインド館を見学して、一番面白いと感じたんです。それから漠然とですが、インドの神秘的な世界に憧れを抱くようになりました。それとは別に、中学・高校時代に日本の仏教寺院や思想に関心を持ち始めました。
 大学は名古屋大学の文学部に入学したのですが、人の精神のあり方を、形あるものを通して分析したいというのが最初にあったんですね。最終的には心理学か宗教美術かどちらかにしようと思っていましたが、たまたま当時の名古屋大学にはインドにかかわる優れた学者がたくさんおられまして・・、インド哲学の立川武蔵先生、インド史の重松伸司先生、建築史の小寺武久先生、そしてインド美術史の宮治昭先生や石黒敦先生・・それまでに触れる機会が滅多になかったインド文化や美術の世界に惹かれていきました。まずは仏教美術の源流を辿ってみようと思ったら、魅力にとりつかれて、はまったまま出て来れなくなってしまったんです。
鹿:我々はインドを世界の一つの国として旅を作っているのですが、北はヒマラヤに接し、南はインド洋、アラビア海までの広大な国土に多民族、多種多様な言語、宗教、文化など単にインドと一言で言っています。先生に以前書いていただいた文章の中にも「通低音」という言葉があって、これがインドを解く鍵かと思いますが、インドをどんなふうにお考えですか?
平:よく講義で話す時に、多様性と統一性という言葉を使うのですが、インドのキーワードとしてどちらもよくでてきますね。インドらしさという、濃厚な地域性がある反面、めまぐるしいほど多様であると。対極にあるような概念の二つがなぜ同居しているのかというのがおもしろいのですが、多様だけど統一性がある、これは「通低音」という言葉がぴったりだと思うんですが、そこに一番絡んでくるのは、「エートス」というギリシャ語になりますでしょうか。要するにその土地固有の磁場といいますか、エネルギーといいますか、そういったものがそこに生きる人々に与える文化的な、精神的な影響のようなものを通底音としての「ローカルなエートス」と言えるのではないかと。民族性というものはもちろん文化を構築する重要な基盤ですが、それ以前に場所、土地、気候、風土というものが人々に与える影響は非常に大きい。院生時代にインドに留学する機会をいただき、インドの春夏秋冬を経験する中で、インドの人たちがどのような季節感を持っているか、どういうものに対して喜びを感じるか、何に対して畏怖を感じているか、肌身に染みて感じることができたのですが、自然であるとか風土にねざした人間の精神性を深く感じたわけです。

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 日本の場合でしたら多彩な四季の移り変わりが繊細な感性になるなどとよく言いますが、インドでは魂を揺さぶられるような強烈な磁場というものが、私には感じられたような気がするんです。人間の生命の根底を揺り動かすような畏怖に近いような感性を育て、ある意味で過酷であったり極端であったり、そうした磁場こそが、あれだけの深淵な哲学と思想の土台となっている。自然に畏敬を持つアニミズムならどこの原始的社会にもあるのですが、インドの場合はその部分を残しつつバラモン教からヒンドゥー教、仏教という形に非常に高度に体系化された哲学思想を構築していくわけですね。
鹿:それは、アーリア系とか南インド系とか民族を超えての話でしょうか?
平:そういうことですね。鹿野さんが言われたようにインドは多民族、多言語国家ですが、訪れた人は「インドらしさ」を感じることができる。先にも言いましたが、民族性以前に、インドの大地が「通低音」を奏でる磁場になっているのではないかと思います。例えば、近世になってからイスラーム勢力が入ってきますね。彼らは「剣かコーランか」というように、絶対的なドグマを固持しようとします。ところが、イスラームの厳格な一神教的世界観ですら、インドの磁場に入ってきた時にインド=イスラーム文化という形に変容します。純粋な幾何学模様で構成されていたようなイスラーム美術が、インドに入ってくると有機的な植物模様を取り込んだりね。それはインド美術が好んで表してきた豊穣と再生のイメージにつながるわけで、インドの大地に根ざしたエートスを拭いきれなかったわけです。

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インドから学ぶこと

鹿:ところで、先生インドに最初にいらっしゃったのは何年ですか?
平:1981年だったかと。大学院の一年生の頃、一ヶ月ほどでしたが、大学の同じ研究室にいた先輩方とガンジス川流域を初めて廻って。
鹿:私も80年代初めに、お客様と一緒に行って。あの頃は誰もがショックをうけて・・
平:まだまだ今と全然違いましたからね!
鹿:ポンコツのバスで人人を掻き分けて進むような。この10年ぐらいのインドの様変わりはすごいですね。
平:最初は1981年に行って、83年に留学したのですが、その後、長期滞在は無理でもほぼ毎年行っております。この30年くらいの移り変わりを見てきたわけですけど、特にこの10年間の近代化は凄まじいものがありますね。
鹿:よく言われることですが、インド人は数学が得意だから、IT産業が盛んになったと・・
平:数学に強いのは確かだと思います。特に数学の天才を輩出している場所、タンジャブールという南インドの都市なんですが、そこには非常に質の高い寺院建築や芸術作品も生み出されているんですね。芸術文化と科学がインドでは繋がっているように思います。さらに言えば、宗教と科学も離反していない。たとえばインドは天文学も発展していますね。ゼロを発見したというのは有名ですが、同じころに一年が365日であると、太陽の周期を計算したのは古代インドの占星術師でした。建築学もそうですね。インドにもいわゆる風水術があって、それに従って厳密に建物を建てるために、計算式などがでてくる。その辺は密接に結びついている訳です。また、インド神話では宇宙の創造と破壊が周期的に繰り返すと説かれ、そこではとんでもなく大きな数字が飛び交っています。たとえば仏教経典に記される「劫」という時間単位はサンスクリット語のカルパの音訳で、43億2千万年を表します。ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の一昼日にいたっては人間世界の311兆400億年にあたるとか。数を把握する能力はそうしたところからも培われているのかも知れませんね。
 それから、宗教と科学を隔離しない社会的傾向は、インドの場合、現代においても顕著です。そこは日本の近代化と違うところだと思います。日本は敗戦を経て伝統文化に目を背ける形で西洋近代文化を吸収していきましたが、インドの場合は自国の文化に対してプライドを強く持っていて、伝統文化や宗教と西洋の進歩的科学技術が、共存しているようにみえます。そこにもまた、インド独自の通底音が聞こえるような。
そのせいか現代日本に比べるとインド社会では精神の疎外感が強くないように思うんです。会社でひたすらコンピューターをいじっている優秀なエンジニアが、夜、ヒンドゥー教寺院で祈りを唱えるという事が普通になされている。インド人は国際的に活動する時に、強靭な精神力を発揮しますが、そのパワーの原動力は、インドの大地に根ざした宗教思想にもあるんじゃないでしょうか。
鹿:中国での社会的なさまざまな歪みは頻繁に聞こえてきますけど、インドではそう深刻ではないと・・・もちろん全くないという事はあり得ないでしょうけど。
平:ないとは言えません。どうしても都会では核家族化、疎外化、犯罪の温床というところもありますけど、面白いことに最近インドの都会人の間ではヨーガが流行しているんですよ。本来ヨーガは単なる体操ではなく、瞑想による実践哲学なんです。瞑想は、インドが世界に貢献した精神的遺産だと言う人がいますが、そうしたライフスタイルにも、私が小学校の時に垣間見たインドの神秘性が息づいているように感じます。私はインドの遺跡見学に学生を引率することもあるのですが、多くの日本の若い方には、そういうインド人のあり方を・・・心の中に強い信念があって、人間を超えた大いなる存在を受け入れ、それに繋がってここにいるんだということを感じられる、そういう姿をまずは見てもらいたいと思っています。その精神的土壌として寺院建築や美術を訪ねると、いっそう理解も深まるでしょう。
鹿:話はがらっと変わりますが、先生はインドの食べ物はお好きですか。
平:大好きで、インドに行く度に太って帰ってくるほどです笑
鹿:辛いだけじゃなくてインドにしかないような独特のうまみを感じますか?
平:体質的に無理な方もいらっしゃいますけど、私はたまたま相性がよかったので、様々な地方の様々な風味のインド料理を楽しんでいます。やはりその土地のものはその土地で食べるとおいしいというのがあって、「文化理解は胃袋からだ」と学生によく言うんです笑・・
鹿:やはりインド料理の基本はカレーですよね?すべてがカレーがらみといいますか。・・日本人にはみんな似たようにみえるけど・・・
平:かなり違いますよね。よく質問されるのは、本当にインド人は毎日カレーを食べているのか、というものです。そこにあるのはハウスバーモントカレーみたいなのを生涯食べ続けているようなイメージだと思うんですけれども、私が説明するのは、「カレー」という言葉は、「スパイス料理」という広い意味なんですと。それはたとえれば「日本人は毎日醤油料理を食べている」と同じくらいの意味で、かなり多岐にわたっているんですよ。多様なスパイスがインド料理という統一性のうちにある。
鹿:そういうことですよね、我々が食べているカレーとは違いますね。
平:インドに行くとなると、食事を敬遠する日本人もいるようです。ひとつ気になる日本人の反応ですが、以前、日本でお米が不足した時に、タイ米騒動というのがあった。せっかく輸入したのに臭くて食べられないと捨ててしまったり。ところが、インドの人たちにとってはあの香りが最高にご馳走になる訳です。日本人の舌に合わないからといって、「臭い」とか「まずい」とか判断しないで、「こういう風土の中でこういうものをおいしいと感じる文化があるんだ」という好奇心でチャレンジされると楽しめると思うのですが・・。
鹿:その逆もあるでしょうね。外国の方が日本に来て「臭い」と感じるもの・・納豆ですとかね。

インド美術セミナーにあたって

鹿:ところで、先生には来年2月にデリーで現地解説をお願いしていますが、デリーの国立博物館にはすばらしいインド美術の逸品が揃っているということですが、どんなところがみどころでしょうか。
平:デリーの博物館は、インドを代表する博物館で、コレクションも多岐にわたっています。全部見ようと思ったら何日間かけても足りないような魅力的なところです。ツアーですとなかなか長くはいられませんが、デリーの博物館を観るということは、インドの文化史・・紀元前から近世のイスラーム近、現代にいたるまで、半日でざっと俯瞰することが出来る。時代時代の名品を持ってきていますから、短期間に視覚的に把握する非常に良い機会だと思います。特に古代インドの仏教美術は、遺跡そのものが廃墟化して、遺品が散逸してしまって現地で何も見られないという所がたくさんあります。そういうところから出土した選りすぐりの遺品がたくさん見られるのも、仏教美術の源流を知るうえで大変貴重な機会だと言えるでしょう。
鹿:本日は大学の講義の後、すぐにお伺いして、貴重なお話を伺うことができました。何となく知っているようで知らない国インドが身近に感じることができました。ありがとうございましたー。来年のセミナーではよろしくお願いいたします。

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投稿:朝日インタラクティブ