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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2013年03月06日

2013年3月 6日 旅なかま3月号 巻頭エッセイ PARTI 極寒のロシア、心温かなロシア人

〔本稿は会員誌『旅なかま』2013年3月号に掲載されたものです〕
ご新規のお客様には見本誌を無料でお送り致しますので、こちらのフォームからお申込みください。その際、「旅なかま3月号希望」とご記入下さい。なお、部数に限りがございますので、お早めにお申込みください。

「美しい女性のために、若い青年のために、そして粋なあなたのために!」
サンクトペテルブルク市の中心部を南北に走るネフスキー通りでは夕方になれば、オレンジ色の街灯が照らしだす街並みにきらびやかなネオンが映える。この通りでわたしは2012年1月の正月、トランペットを左手に握り、右手で通行人を一人ひとり指さしながら大声で叫んでいる一人の男性に遭遇した。夜景に目を奪われる通行人たちは、男性の呼びかけに振りむく。待ちかまえていたかれは「ワッハ、ワッハ!」と甲高い笑い声を響かせる。そして、トランペットを口元に近づけて曲を演奏しはじめる。

「カチューシャ」「黒い瞳」「長い道」……。どれもこれも日本人にもなじみのあるロシアの曲ばかりだ。わたしが気づくと、50人ほどの人びとがかれを取りまいている。その輪のなかにはロシア人だけではなく、北欧や西欧、アジアからの旅行客や中央アジア出身の出稼ぎ労働者などが加わっている。民族、性別、年齢もじつにさまざまだ。マイナス10度の厳寒だというのに、人びとの心が和み、一人ひとりの表情が笑顔にかわる。
男性の一声で、わたしのサンクトペテルブルクへの親近感は一気に高まる。この古都の魅力といえば、ツァールスコエ・セローやペテルゴフの壮麗な宮殿、膨大なコレクションを誇るエルミタージュ美術館やクラシックバレエで有名なマリンスキー劇場があげられる。現地の人びとの望外のおもてなしがくわわると、リピーターになるのはまちがいない。
街中では、たとえロシア語ができなくても、ロシア人に特有な客好きの心意気に触れる機会にめぐりあえる。ロシアには帝政時代から、他人の突然の親切心を極上の喜びと感じる精神が根づいており、偶然の出会いがもたらすハプニングが大好きだ。だからこそ、見知らぬ人に心から優しく接する。このロシア人の態度に不躾で、見返りを求めるような即物性は感じられない。どこまでも控えめだ。相手が遠方から来たとわかれば、ロシア人の洗練された親切心は全開となる。

エカテリーナ宮殿のなかの「王座の間」

では、なぜサンクトペテルブルクはこんなに開放的な都市になったのだろうか。ロシアは広い国土を有し、100を数える民族が共存する多民族社会だ。国土が拡大していくのは17世紀末から19世紀後半にかけての帝政時代であり、当時の首都がサンクトペテルブルクだった。ロシア人は各方面に進出するにあたって、かならずしも周辺民族を武力で制圧し、自分たちの文化、宗教、言語を押しつけたわけではない。むしろ逆にロシア人は周辺民族の風習、伝統料理、アニミズムやイスラム教、仏教などの宗教を積極的に吸収し、かれらに妥協することで広大な国土を獲得できた。

「血の上の教会」の内装

だが皮肉にも異質の文化、宗教、生活様式を包含し、ロシアの文化と混ぜてしまったがゆえに、ロシア人は自分たちの伝統の多くを変質させてしまった。かれらは自国の文化や料理を説明するときに、「これはコーカサス地方から、これは中央アジアから、これはシベリアから取り入れました」と得意になって説明してみせる。詳細に由来を知っており、知識の豊富さに驚く。わたしはロシア人の友人に「ロシアの独自の文化はなんですか」としばしば聞きかえす。かれは苦笑いをしながら「とてもすばらしい質問です。でも、わたしには尋ねないでください」とけむに巻く。このような寛容性こそが、ロシア人の魅力だ。

冒頭の男性は演奏がひと通り終わると、こんどはわたしを指さした。「外国人のあなたのために!」と語りかけ、「インターナショナル」の曲を高らかに響かせた。

写真提供 中村逸郎氏

中村逸郎

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投稿:朝日インタラクティブ