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旅なかま 11・12月号

「漢委奴国王」金印と私
「漢委奴国王」金印と私
「漢委奴国王」金印と私

 日中両国間の文化交流の歴史が語られるとき、福岡市志賀島出土の国宝「漢委奴国王」の金印をもって、2千年前から説き起こされる。その金印がなぜ志賀島から出土したのか、この問題を解くためには、中国の漢帝国と周辺地域という広い視野に立って、東アジアを見つめることから始めねばなるまい。
 中国最初の統一大帝国ともいうべき秦が滅びた後、紀元前202年に劉邦によって再統一された前漢は、第7代武帝の時代に全盛期を迎えた。武帝は、内政では中央集権的な専制国家の充実を図るとともに、周辺の異民族に対して、征服と領土の拡張を展開して、内外ともに強大な帝国を確立させた。まさにそのころ、前漢の正史である『漢書』の地理志に、「それ、楽浪〔郡〕の海のなかに倭人が住んでいて、分かれて百余の国をつくり、毎年〔楽浪郡〕に使者を送り、献見しているとのことである」と見える、よく知られた記事のように、当時の日本列島の様子が中国の正史にはじめて登場する。
 ところで、武帝が対外政策を積極的に推進した背景には、中原北方の草原地帯を舞台として活動していた遊牧騎馬民族である匈奴の存在がある。武帝は西方はるか遠くにいた大月氏と結んで匈奴を攻める計画を立て、紀元前139年ごろに張騫を派遣したわけである。その後も武帝は、いわゆるシルクロード上のオアシス地帯をつぎつぎと押えて匈奴に対抗した。
 いっぽう東方世界では、「匈奴の左腕を絶つ」ために、元封3年(紀元前108)、朝鮮半島西北部を中心とした地域に、いわゆる楽浪郡をはじめとする四郡を設置して、「東夷」まで領域を広げることによって、匈奴への牽制を行った。このことを契機として、倭すなわち当時の日本列島と、漢帝国との国際的な外交関係が、楽浪郡を通じて成立することになり、上述のような、『漢書』地理志に倭関係記事が記載される結果をもたらしたわけである。
 その後、後漢時代に入った光武帝の建武中元2年(57)に、「倭の奴国〔王が遣使して〕貢物を奉り朝賀した。使者は大夫と自称した。〔奴国〕は倭の最南端の国である。光武帝は〔奴国王に〕印綬を与えた」ことが、『後漢書』倭伝に見える。このとき、福岡平野を中心とする地域の奴国が、光武帝からもらった印こそ、志賀島出土の「漢委奴国王」金印であることはよく知られている。
 その金印をめぐって、出土地付近を発掘したことがあるが、いまだに謎が解けない。私の金印との係わりは、こんごも続くが、このたび福岡市博物館に展示中の金印を見学し、出土地を踏査して、皆さんとともに金印の謎に迫りたいと思う。

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西谷 正

西谷 正氏  (にしたに ただし)

略  歴:1938年大阪府生まれ。京都大学大学院修士課程修了。
奈良国立文化財研究所、福岡県教育委員会、九州大学文学部・九州大学大学院人文科学研究院教授を経て、現在、九州大学名誉教授・伊都国歴史博物館館長。
主な著書:『古代朝鮮と日本』編(名著出版)、『考古学による日本歴史』編10・16(雄山閣)、『邪馬台国時代の国々』編(雄山閣)など。





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