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旅なかま 11・12月号

神秘の島シチリアへ
神秘の島シチリアへ


  シチリアについて語ることができるのはうれしい。ローマやナポリも大好きだし、イタリアのことを想うだけでワクワクするのだが、シチリアを想うとドキドキする。頭の中にとても大きな時空が広がり、様々な光景がとりとめもなく脳裏を駆け巡り、大きなカオスの中に魂が吸い込まれていくように感じる。シチリアの謎めいた魅力にとりつかれてから久しく、何度も訪れているのだが、イタリア本土のつま先から、たった数キロメートル向こうに浮かぶ三角の島は、今だにえも言われぬ神秘の世界なのだ。
 そのゆえんを知りたくて、私はこれまでこの島の歴史を勉強し、それぞれの都市を歩きまわって取材してきた。例えば、さほど大きくもない島に、重厚な歴史の詰まった建築群を擁する大都市パレルモ、タオルミーナのように地中海に臨む明るいリゾートの町、それとは対照的に、内陸部にはラグーサやエンナのように閉鎖的な山岳都市。それらの旧市街には概して悪趣味ともいえるバロック装飾があふれ、時としてぶきみと言えるほどの場合もある。都市には多様な文化が入り込み、混ざり、蓄積し、それぞれ異なる顔をつくりだしている。一方で、島の自然は常に泰然としている。郊外に目を転じると、美しい海岸線、東部には万年雪を戴くエトナ山、大きく広がるオレンジ畑やサボテン畑、西部にはごつごつとした禿げ山と牧草を求めてすばやく動く羊の群れ。車窓の景色は様々だが、どれも素朴な田舎そのものである。
 ここで私の大好きな場所をいくつか紹介してみよう。まずはシラクーサ。見どころは、紀元前五世紀にまでさかのぼるギリシア劇場をもつ遺跡公園や、半日かけても鑑賞しきれないほどのみごとな考古学博物館、そして青い海に囲まれた旧市街オルティージャ島がある。その中心を占めるドゥオモは、気品のあるバロック様式のファサードをもつが、堂内は二千五百年前にさかのぼるドーリス式ギリシア神殿そのものなのだ。夕方には美しい日没を愛でようという市民がアレトゥーサの泉をめざしてぞろぞろと集まってくるし、朝日を浴びた早朝の露天市場をひやかすのも楽しい。この町は、すばらしい歴史とモニュメントに恵まれながらも、観光客めあての商売っけがなく、鷹揚なところがあるので気に入っている。
 次に好きなのは大都会パレルモである。現代の州都であり、ノルマン時代にさかのぼる王宮をはじめ、神殿のようにドラマティックな外観をもつマッシモ劇場もあり、どんなに長く滞在しても飽きることなく過ごすことができる。特に、立派なバロック彫刻で飾られたクワットロ・カンティの交差点を中心とする旧市街には、絢爛豪華なモニュメントのほか、喧噪に満ちた三つの路地市場もあれば、パレルモ大学の法学部もあり、猥雑さと歴史の重みが同居している。新市街の方は夜もにぎやかで、ヤシの木のある広場や、街路樹の植わった広々とした通りは遅くまでにぎわっている。
 三つ目に挙げたいのはセリヌンテである。広大なギリシア神殿群という点ではアグリジェントも同じであるが、すぐ目の前にアフリカに続く海が、かつてカルタゴの船団が往来していた海が迫ってきているという立地が独特の魅力である。ここの遺跡の神殿はすべてが根こそぎ倒壊していた。一部の円柱が積み上げられたのは近年のことにすぎない。広すぎて歩くのがたいへんかもしれないが、東側の神殿群のいちばん北にあったG神殿にはぜひとも近寄ってみたい。直径三〜四メートルもあった円柱が崩れてごろごろとしている様を間近にするのは感無量というものだ。ありし日の栄華を偲びつつ無常を感じることができる。
 次はラグーサ。ほかとは対照的に内陸部にあり、深く穿たれた渓谷に囲まれた、ひょうたん島のような山岳都市である。高台にある新市街から、所々新しい車道によって分断された細い階段を降りていき、イブラという旧市街に出て、さらにさまよい、建物の下のアーチをくぐってドゥオモの前の広場に立つ。南国的なヤシの木、立派な前階段、斜に構えてクーポラを覗かせる高々としたバロック様式のファサード。タヴィアーニ兄弟の映画『カオス・シチリア物語』(’84年の映画だが、先頃’06の秋にDVDが発売された)で何度となく目にしたあの情景がこつ然として目の前に現れたときの感動を忘れることはできない。
 さらに続けるならば、塩の山が連なるモツィアの塩田風景も印象的だし、トラーパニを見下ろす急峻な崖の上の町エリチェは、美しい石畳と、立ちこめる霧が名高い。海辺の風景としては、シラクーサのほかに、チェファルーがみごとだ。地中海に睨みをきかせるようにそびえる砦と、その下のドゥオモ、鄙びているのに味わいと風格がある。
 このように挙げていったらきりがない。私の頭の中では旅の記憶があれもこれもぐるぐると錯綜している。言えることは、どれも実に個性的だということ。シチリアという世界はあまりに多様すぎて、言葉で説明することは容易ではない。それぞれ自らそこに行って、そこに立ち、感じとるしかないのである。    (こもりや・けいこ記)


小森谷慶子

小森谷慶子(こもりや けいこ)
イタリア史研究家

略歴:1977年東京女子大学文理学部史学科卒業。イタリア史研究家。
著書:「魅惑のローマ」(グラフィック社)、「シチリアへ行きたい」「ローマ古代散歩」「ナポリと南イタリアを歩く」(ともに新潮社とんぼの本シリーズ)、「シチリア歴史紀行」(白水社)がある。





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