カルタゴの起源はフェニキアのティール(現レバノンの都市スール)の女王アリッサが王位継承権の内紛問題で、カルタゴの地に逃れて来た事に始まると言い伝えられている。
紀元前814年カルタゴの地に足を下ろしたアリッサは、カルタゴの中心地ビルッサの丘を訪れて所有権の交渉を始めるが、これには面白い逸話がある。この地を初めて訪れたアリッサ女王は土地の所有者から「貴方に土地を譲るのであれば、牛一頭分の皮の面積しか譲れない。」と告げられた。それを聞いたアリッサ女王は、「それならば」と牛一頭の皮を細い紐状に牛の皮を裂き、広大な土地を手に入れたと言われている。こうして建設されたカルタゴは紀元前9世紀から紀元前2世紀にかけて海上貿易や農業を中心として発展していく。現在残っている古代カルタゴの港や、カルタゴの建築物からもその栄華がうかがえる。例えば総ての個人の家にも水を貯める水槽が一軒一軒にあり、その水槽の蓋には大きな石を屋根上に三角に組み合わせた痕跡が見られる。現在もこの様な構造物はビルッサの丘に残る遺跡に見られるし、古代カルタゴ港は軍艦220隻が係留されたと言われていて、過去の栄華を物語っている。
しかしイタリア半島を統一したローマ帝国がシチリア半島の権益を理由に戦争を仕掛けてくる、それが第一次ポエニ戦争(紀元前264年〜紀元前241年)で、カルタゴのハンニバルの活躍により、カルタゴは勝利を勝ち取るが、第2次ポエニ戦争(紀元前218年〜紀元前201年)のザマの戦い敗れアフリカ以外の領土を総て失ってしまうが、敗戦十年後には、50年払いの賠償金の残額を一括で払い戻すまでに経済が回復すると、さすがのローマ帝国もこれには驚愕と恐怖を覚え、紀元前149年〜紀元前146年にかけ第3次ポエニ戦争を仕掛ける。3年間の篭城戦の結果、町を焼き払い、町に塩を撒いて草木が一生生えないようにしたと言われている。現在に残るカルタゴの町は、その後紀元前29年にローマの皇帝カイサルのカルタゴの再建宣言により、アウグストゥスがローマ都市を再建した遺跡が残っている。
チュニジアの遺跡はチュニスから放射線状に国内に広がっており、遠くはリビアのサブラタ遺跡やレプティスマグナ遺跡やアルジェリアのティムガット遺跡やジェミーラ遺跡、内陸部にはウティナ遺跡、ティブルボマジス遺跡、ザマミノール遺跡(現在発掘中)、モクタール遺跡、ドッガ遺跡、スベイトラ遺跡など、その他にも知られていない遺跡が沢山存在していて、過去の栄華を今日に伝えている。
エイ・エス・アイ・ディスカバリー株式会社
代表取締役 門山 浩志(チュニス在住) |