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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2013年07月30日

旅なかま8月号 巻頭インタビュー 祈りの地・バチカンへの道しるべ

〔本稿は会員誌『旅なかま』2013年8月号に掲載されたものです〕
ご新規のお客様には見本誌を無料でお送り致しますので、こちらのフォームからお申込みください。その際、「旅なかま8月号希望」とご記入下さい。なお、部数に限りがございますので、お早めにお申込みください。

巻頭インタビュー 祈りの地・バチカンへの道しるべ 今年3月に南米出身の新しいローマ教皇が選出されたのは記憶に新しく、世界史で習った「コンクラーべ」という言葉もおなじみのものになりました。キリスト教国家やヨーロッパにおいて、切っても切れない「ローマ教皇」の存在。ちょっと知っておくだけで、旅がもっと楽しく、深いものになるかもしれません!

小林(以下「小」)先生のご経歴を拝見しますと、ご専門が「中世における教皇庁制度史・中世ローマ都市史」ですが、まずはご興味を持たれたきっかけをお伺いしたいと。

藤崎先生(以下「藤」)大学に入る前からヨーロッパにはそれなりに関心がありました。「ヨーロッパ世界の基礎ができたのはいつなのか」と調べた時に、やはり現代まで続くヨーロッパ文明の礎となったのは中世という時代であり、大きな要素はキリスト教だという考えから、ヨーロッパの本質を見極めていくために掘り下げていこうと思いました。

:「中世」というと、私達は世界史で、西ローマ帝国滅亡の5世紀後半から、15世紀中頃のコンスタンティノープルの陥落と英仏百年戦争の終結までと覚えるのですが、先生のお考えもそうですか?

:時代区分というのは、その時生きている人は「今、自分は中世に生きている」とか「今日で中世がおわり、明日から近代だ」などと考えているわけではないので、あくまでも後の時代の人間がふりかえって、一応ここかな、と設定するわけですけれども、15世紀なかばから後半にかけては確かに大きな区切りになるでしょう。
東ローマ帝国が滅び、百年戦争が終わり、あとはコロンブスの新大陸発見・・これはヨーロッパが新しい世界に踏み出していくという一つのターニングポイントでもありましたし、グラナダ陥落というレコンキスタ完成?イベリア半島が完全にキリスト教的ヨーロッパに統合されたという転換期になっています。

:ヨーロッパを形成する画期的な出来事が続いた時期ということですね。私達は中世史で例えば「カノッサの屈辱」(注1)とか「アナーニ事件」(注4)など、必ず習いますが、正直イメージがわきません(笑)。たとえば、中世キリスト教や教皇について触れる手がかりといいますか、材料はありますか?

ボニファティウス8世の墓

:バチカン以外で言えば、例えば南フランスのローヌ河ぞいの街アヴィニョンは立派な宮殿が残っていて、そこには70年間くらい教皇が留まりましたよね。ひとつの大きな観光名所でもありますし、「教皇のバビロン捕囚」(注6)や「シスマ(教会大分裂)」(注7)を知るきっかけになると思います。
イタリアに戻ると、アナーニにも教皇関連の施設はありますし、ローマから北のヴィテルボという街に教皇が長らく滞在していた時期があって、最初のコンクラーべが行われた名残を若干見ることができます。あとはオルヴィエートあたりにも教皇が滞在していた痕跡がありますね。教皇といったら誰もが初めにバチカンを思いつくかもしれませんが、ここはアヴィニョンから教皇が戻ってきて以降メインになったところであって、それ以前は長らくラテラノ宮殿(※サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ聖堂に隣接)が歴代教皇の拠点でしたので、そういう所からアプローチしていけるかと思います。

:一般的には、最初からサン・ピエトロ大聖堂=バチカン=教皇庁のイメージですが、サン・ピエトロ大聖堂はペテロの墓であり信仰の対象であって、政治的な機能は、もともとラテラノ聖堂にあったわけですね。

:そうなんです。ペテロへの崇敬というサン・ピエトロ大聖堂の宗教的意義というのは昔からありましたが、政治的な中心地というのはラテラノに長らくありました。地理的にいってもローマの中心から見て正反対の方向にある二つの極が中世においては同じくらい重要な地域だったんですね。

《個性的な教皇たち》

:バチカン以外にも教皇と関連の深い場所がいろいろわかりましが、それでは、ぜひ知っておいてほしい、興味深い教皇といえば先生は誰をあげられますか?

:まず歴代の教皇たちの中で、重要な役割をはたした人は中世に多いんですよね。その時代は世俗の君主と張り合うくらいの発言権がありました。対して、近代以降になると世俗の国家がそれぞれ別の道を歩んでいくので、教皇と世俗の君主が対等に張り合う局面がみえてこないですよね。ということでどうしても中世の教皇が目立ちますし、おもしろいと思います。
その中でもボニファティウス8世(注5)はやはり知っておいていただきたいですね。この教皇はかなり自己顕示欲が強かった教皇で、自分が生きている間に自分の彫像をたくさんつくらせておりまして、フィレンツェのドゥォーモの博物館にもありますね。この教皇については、堀田善衛さんの『聖者の行進』という本に含まれる「ある法王の生涯」という短編小説の中で、若干デフォルメされていますがうまく描き出されているなと思います。魔術や錬金術を使ったなどと言われ非常に個性的な教皇の一人であったこともそうですが、国家というものができつつあったフランス=世俗との対立において、教皇権を失墜させていったということでも興味深いですね。

:教皇権の話でいえば、「カノッサの屈辱」のグレゴリウス7世(注2)や、教皇権の絶頂期を築いたインノケンティウス3世(注3)なども覚えていくとよいですね?

:そうですね。ここで忘れてはならないのは、今名前の出た教皇たちは確かにリーダーシップや個性があったとも考えられますが、教皇権というのは教皇ひとりだけで成り立つようなものではないんです。裁判であるとか文書作成というのは中世では重要なんですけど、証書作成や財務関係であるとか、そういったものが一種の整った制度として完成に向かっていったのがこの時代なんです。教皇を支えるさまざまな部局とそこに勤める優秀なスタッフたちがいて、行政機関がしっかりしていれば、それ以降は教皇がそんなに目立たなくても、教皇国家としてなりたっていくことができたんです。中世に基盤ができあがり、現在にまでそれはいたっているわけですよね。在位期間も長かったヨハネ・パウロ2世はたしかに偉大な指導者でありましたし、もちろん個性や特徴があることを軽視してはいけないと思うのですけれども、同じくらい重要なのはそれを支える多くの人達であり、かれらのことを見過ごしてはいけないと思います。

ローマの年表\

《女性の教皇が存在した??》

:日本でいうと、大臣をたくさんの官僚たちが支えている、それに近い感じでしょうか。そういえば「教皇庁ほど有能な男性のそろっている機関はない」とも耳にします。

:もちろん世界各地から在バチカン勤務の聖職者が集められているので必然的に有能な男性がそろっているのだろうとは思います。男性だけで組織、国家が成り立っているというのは奇妙な感じがするかもしれませんが、ただ、まったく女性を排除しているわけではなく、バチカンの中で働いている女性たちもいます。教皇の直接的な世話をする家政婦的な女性たちもいるし、バチカンに付属する救貧院などで働く女性たちも多くいます。

:教皇庁は男性の社会であり、国家だと思っていましたが、やはり女性の力なくしては成り立たないということなのですね。少し安心いたしました。

:バチカンと女性の関係というとちょっと興味深い話がありまして、いくぶん話が飛びますが、「女教皇ヨハンナ」という・・・

:あの、馬上で出産したという・・?

:そうです(笑)。教皇は必ず男性という常識があるんですけれども、伝説上女性の教皇がいたと。舞台は9世紀くらいとされています。

「女教皇ヨハンナの出産」

ヨハンナは女性でありながら、学問を深めるために男装して男子修道院に入り、名声広まりついに教皇に選ばれる。
お付きの者と恋仲に落ちて身ごもり、行列の馬にのっている途中産気づいて出産、その際亡くなってしまう。

バリエーションはいろいろありますがおおむねこのような話です。これにまつわるいろいろなおもしろいデータがあり、中世の写本の冊子がいくつかあるんですけれども、出産のことをよくわからない(笑)男性聖職者が描いたと思われる絵が残っています。

:衝撃的というか、不思議な伝説ですね!

:この伝説はいろいろなところで言及されていて、タロットカードの「女教皇」はこの人がモデルともいわれていますね。小説や映画のモデルにもなっていますし、信じる信じないは自由ですが、何かしら普遍的にそういうイメージを喚起するものがあるんです。ジェンダー史観というか、研究者である以上はそういう見方でとりあげるのもおもしろいので、何等かの形で紹介できるといいなと思っています。

《新教皇誕生!これからのバチカンは》

:カルチャーセンターの講座でも引き続き、教皇についての興味深いお話しをうかがえるのですか?

:バチカンに関しては今年の教皇交代にからめてお話ししたほか、古代から現代までのバチカンの歴史をたどっています。それからヨーロッパのキリスト教や教皇庁に限らず、ヨーロッパの聖堂めぐりとして各地域、今はフランスに焦点をしぼってロマネスクやゴシックの教会・修道院を紹介しています。

:ありがとうございます。教皇庁に関してのお話をうかがってきましたが、最後に一つ。約450年間イタリア出身の教皇が続きましたが、ここに来て、ヨハネ・パウロ2世はポーランド出身、次のベネディクト16世はドイツ出身、3月に選出された新しい教皇フランシスコはアルゼンチン出身と、イタリア人ではない教皇が選出されています。これによってバチカンはやはり変わった、または変わっていくのでしょうか?

:そうですね、最近は確かにイタリア人以外の教皇が続いてバチカンが国際的な存在になってきているとは思います。これによってグローバリゼーションというか、現代的な流れになるのかと思われがちですが、実は中世においても結構イタリア人以外の教皇もでてきていたんです。ドイツ人も何人もいましたし、イギリス出身、フランス出身もいます。ただ今回はアルゼンチンということで、ヨーロッパどころか新大陸まで行っていますね。それでもやはりバチカンが本拠地とするのはイタリアの中の、ローマの中の小さな土地であり、そこを足がかりとしないといけません。メインで話す言葉もイタリア語です。「脱イタリア」、「脱ヨーロッパ」的なものも若干あると同時に中世からずっと保ち続けてきたイタリア的、ヨーロッパ的なものは当面残り続けると考えています。

:やはり、中世から脈々と受け継がれている根幹は、普遍的なものがあるということですね。ローマ教皇が、何世紀にも渡って崇敬されるキーポイントかもしれません!本日はどうもありがとうございました。

写真提供:藤崎衛先生

藤崎衛 ローザンヌ大学、ローマ大学などに留学 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了
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投稿:朝日インタラクティブ