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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2016年12月19日

旅なかまVol.275 〜「ウィーンアートナイト」特別インタビュー

〔本稿は会員誌『旅なかま』2016年Vol.275に掲載されたものです〕
ご新規のお客様には見本誌を無料でお送り致しますので、こちらのフォームからお申込みください。その際、「旅なかまVol.275希望」とご記入下さい。なお、部数に限りがございますので、お早めにお申込みください。

〜「ウィーンアートナイト」特別インタビュー ウェルナー・ヒンク氏率いる ウィーン弦楽四重奏団の魅力

来る3月にウィーンで開催するイベント「ウィーンアートナイト」で演奏をお願いしている「ウィーン弦楽四重奏団」とウィーンの街の魅力について、ウィーンを中心としたヨーロッパ文化史がご専門の小宮正安横浜国立大学教授にお話を伺いました。

小宮正安氏 横浜国立大学大学院都市イノベーション学府教授。1969年生まれ。東京大学大学院博士課程満期単位取得。専門はヨーロッパ文化史・ドイツ文学。著書に『名曲誕生 時代が生んだクラシック音楽』(山川出版)、『音楽史 影の仕掛け人』『オーケストラの文明史 ヨーロッパ3000年の夢』(ともに春秋社)、『モーツァルトを「造った」男 ケッヘルと同時代のウィーン』『ハプスブルク家の宮殿』(ともに講談社現代新書)、『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』、『ウィーン楽友協会 200年の輝き』(ともに集英社新書)など多数。ウィーン大学やザルツブルクのモーツァルテウムにおける講演をはじめ、『ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート2007/2016』(NHKテレビ)のコメンテータなど、国内外や各種メディアにおいても活躍している。
「ウィーン弦楽四重奏団」とウェルナー・ヒンク氏

水谷:世界有数のアンサンブルとして知られている「ウィーン弦楽四重奏団」ですが、ずばり、その魅力とは何なのでしょうか。

小宮:「ウィーン弦楽四重奏団」は、ウィーン国立歌劇場管弦楽団と、そのメンバーで構成されるウィーンフィルハーモニー管弦楽団の人たちによる弦楽四重奏団です。その第1ヴァイオリンが、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団で長きに亘ってコンサートマスターを務めてきたウェルナー・ヒンク氏です。日本でも大変有名で、皇后陛下とも共演されたことがあります。ヒンクさんは弦楽四重奏で演奏することがもともと大好きでした。育ったのが第2次大戦後の何も物のない時で、テレビもコンピューターもない時代に、音楽はとても大きな楽しみでした。普通の家庭に生まれ育ちましたが、家族は皆音楽好きで、よく合奏をしていました。そのうちにヒンクさんもヴァイオリンをやりたいと思うようになり、ウィーン市立音楽院に通うようになりました。といっても、昼間は普通の学校に通いつつ、日本の部活のような感じで、夕方音楽院に通って、そこでヴァイオリンを学び、仲間と弦楽四重奏を楽しむようになっていったんです。音楽院の先生もそうしたことを勧めていました。やがて、プロのヴァイオリニストになろうと決意し、国立歌劇場管弦楽団に入団した時には、音楽院の少し先輩でヒンクさんと組んで弦楽四重奏をしていた仲間たちがすでに団員となっていました。ではということで、そうした先輩と共に、弦楽四重奏団を始めたわけです。ウィーンフィルや国立歌劇場管弦楽団の特色として、各メンバーがお互いの音を非常に良く聴いているということが挙げられます。オペラの演奏をすることが多いので、舞台で何か起こった場合には、指揮者に頼るのではなく、自分たちで音楽を立て直し、自発的に作っていく、そこに指揮者や歌手の解釈が加わってくるというスタンスのオーケストラです。オーケストラの基本というのは、ヴァイオリン2つにチェロとヴィオラの弦楽四重奏の編成です。それに管楽器がくっついたりコントラバスや打楽器が加わったりしますが、オーケストラの基本の部分を、ヒンクさんは音楽愛好家として楽しみながらやってきました。プロの音楽家になってウィーン国立歌劇場管弦楽団に入ってからも、オーケストラの仕事だけではなくて、「ウィーン弦楽四重奏団」という自分たちの室内楽アンサンブルをずっと大事にされてきました。コンサートマスターになられて非常に多忙になった後も、「ウィーン弦楽四重奏団」の活動はしっかり続けられてきたのです。よく、有名オーケストラのコンサートマスターになった後に、弦楽四重奏団を結成するというパターンがありますけど、ヒンクさんの場合、プロになる前からずっと弦楽四重奏をやってきました。今はウィーンフィルのコンサートマスターは引退されていますけれども、引退後も「ウィーン弦楽四重奏団」をずっと率いて、同じ響きを大事にしているウィーンフィルの仲間と共にアンサンブルを楽しむということを突き詰め続けていらっしゃいます。

水谷:ウィーンフィルは弦楽器の素晴らしさを良く讃えられますが、コンサートマスターを務められたヒンクさんに加えて、構成メンバーもトップ奏者たちで、その方たちが紡ぐ音だからこそ世界一と言えるわけですね。

横浜国立大学 小宮教授の研究室にて
右:小宮教授 左:弊社音楽の旅担当の水谷社員

小宮:そうです。もうひとつウィーンの音楽的な伝統のひとつなのですが、その昔は、音楽愛好家の人たちが自分たちで奏でて、ある時は聞き手にまわってというパターンだったのです。弾き手と聞き手が同じだったのです。今回はもちろん、ヒンクさんたちのプロの音楽を聴くという形ですけれども、何千人も入る大ホールではなくて、随分小さめの空間で聴くわけです。これは室内楽のもともとの聴き方で、原点に立ち返って聴くことができるというのは、大きな贅沢だと思います。ウィーン弦楽四重奏団は大変人気のあるアンサンブルですから、ウィーンでも日本でも、大きなホールで演奏されることが多いわけです。それを敢えて小さな空間で、それも音楽会のためのホールではなく、いわゆる宴の場所での演奏を聴くというのは、本当の室内楽を体験できる素晴らしい機会ではないかと思っています。奏者が親密にお互いに音を聴きながらやっていくように、お客様も奏者の音を親密に聴くことができる、その〝近さ〞がすごく大事だと思います。しかも、伝統的な古い建物のなかで行われるということで、すごくいい機会だと思いますね。

水谷:会場は、シェーンブルン宮殿の横にある迎賓館だった建物のボールザール「舞踏の間」です。

「ウィーンアートナイト」会場「舞踏の間」
(パークホテル・シェーンブルン内)©Wikimedia Commons

小宮:まさに室内楽を聴くのには絶好の場所です。そもそも「ウィーン弦楽四重奏団」も、今のように有名になる以前は、ウィーンの小さな宮殿の広間などで演奏会をしていました。まさに彼らの原点を聴くような企画と言えるかもしれないですね。

水谷:ヒンクさんは親日家としても知られていますが、2014年の秋が「ウィーン弦楽四重奏団」としての最後の来日でしょうか。日本のファンも多いのですが、その後来日されていないということで、残念に思っているファンの方も多いのではないかと…。

小宮:だからこそ、現地で聴くことができる良い機会です。2015年、チェロをなさっていたドレシャルさんという方が亡くなってしまったのですが、彼のもっていた音、ウィーンフィルの音ともいえる音を大事にしている若手のチェロ奏者の方を、ヒンクさんとメンバーの方が見つけて入れられています。とてもスムーズに移行がなされているようです。ヒンクさんは、コンサートマスターを辞められて、自分の音楽というものをますます新鮮にしていきたいとおっしゃっています。確かに自分は年を重ねたけれども、老成してしまうのではなくて、新しい発見であるとか、さらに新たなものを突き詰めていきたいということ。若い奏者の方と一緒に「ウィーン弦楽四重奏団」を続けていくということは、彼にとってもスリリングで喜ばしいことなのではないかと思います。

水谷:時代が流れていく中で、ウィーンの音の伝統を守りつつも、何かしら新しいものに変えていくということですね。今回のコンサートでは、ドレシャルさん亡き後の新しい音も聴けるわけですね。

小宮:「新生ウィーン弦楽四重奏団」ということになるわけで、最後の来日公演をお聴きになった方にとっては、本当に新しい門出をお聴きになれる千載一遇のチャンスではないかと思います。また、演奏は再現芸術で、何回も何回もやってきているレパートリーですけれども、その度に違う〝生き物〞ですし、その日のお客様によっても、会場によっても違ってきます。だからこそコンサートは意味があるものだとヒンクさんもおっしゃっていますけれども、この機会に聴かれる音楽はまさに一期一会といえると思います。

水谷:そういう機会を朝日旅行で作らせていただけるというのはうれしいことです。短い時間ではありますけれども、贅沢で貴重な時間になるといいと思います。演奏していただく曲もヒンクさんの方で選んでいただいています。日本の方がたくさん来るということで、ヒンクさんも楽しみにしていらっしゃると聞いています。ところで先生は、今、新しい著書として、「ウィーン弦楽四重奏団」、それからヒンクさんの伝記を執筆されていますね。

小宮:そうです。ヒンクさんに合計24時間に亘るインタビューをしました。ヒンクさんの生い立ちに始まって、もちろんウィーンフィルへの入団やコンサートマスターの話はハイライトなのですが、ヒンクさんからすごく大事に書いてほしいといわれたのは、ご自身の「ウィーン弦楽四重奏団」での活動の話です。彼にとって、室内楽がどういう意味があったのか、彼の音楽家人生にどれだけ室内楽が大事な働きをしたのかということをしっかり書いてほしいと。ただ単にウィーンフィルのコンサートマスターになった成功譚ではなくて、自分にとって室内楽がどういうものであって、室内楽の伝統を育んできたウィーンやオーストリアの文化はどういうことなのかを伝えられるような本にしてほしいというご要望があるんです。彼の室内楽での活躍ですとか、どうして彼がそこまで音楽というものに興味を持つようになったかとか、また、ウィーンの音楽の伝統、室内楽の伝統というようなものもこの中にしっかり書かせていただく、そういう本を今、執筆しています。

水谷:その本を拝見すれば、ヒンクさんがどれだけこの弦楽四重奏団を大切にしていらっしゃるかということと、結成50周年を迎えて、世界で一番と認められたアンサンブルの経緯がわかるわけですね。

小宮:もうひとつ大切なのは、ヒンクさんは普通のご家庭に育った方で、ご両親は音楽家ではありません。音楽が大好きな一家が世紀のコンサートマスターを生んだという辺りがとても面白いです。小さいときから英才教育を受けた方ではないということに、ウィーンの懐の深さといいますか、音楽芸術のすごい吸引力を感じますね。

ウェルナー・ヒンク氏(左)と第2ヴァイオリンのクロイザマー氏(右)
(ウェルナー・ヒンク氏提供)

水谷:ウィーンフィルといいますと、世襲の要素が強いと聞いていますが、ヒンクさんは、一代で成したわけですね。

小宮:まさに一代で入団して、コンサートマスターになられた方です。プロの音楽家になる前に、数学が好きだから、理系の大学に進もうかと考えられたこともあったみたいです。普通の学校で勉強しながら、夕方は音楽学校に通って、16歳とか18歳で進路を最終的に決める時に、プロの音楽家になろうと決められたんです。非常に視野の広い方でお話も面白いですし、そういう方だからこそ、30年以上の長きに亘ってウィーンフィルハーモニーのコンサートマスターを務めることができたのでしょう。人柄が本当に魅力的な方ですので、日本にあれだけファンが多いというのも頷けます。

ニューヨークに先駆けた国際都市ウィーン

水谷:先生は、オーストリアがご専門ですが、ウィーンのここが面白いという話がありましたらお聞かせください。

小宮:ウィーンがどういう街かと聞かれた時に、私は、「ニューヨークに先駆けた国際都市」と言っています。ニューヨークの場合は、18世紀の終わりにアメリカ独立戦争があって、独立後に、いろんなところから人がやってくる街となったわけですが、ウィーンは元々ハプスブルク家の都でした。ハプスブルク家は広大な領土をヨーロッパ中に持っていたわけで、オーストリアを中心にして、東欧、ウクライナ方面、イタリアの一部、スペイン、オランダなど、フランスを除いたヨーロッパのほぼ全域に関係していました。そうしますと、その広大な地域のあらゆるところから人々が都へとやってくるわけです。ロシア辺りからも、スペインやイタリアからも、言語や文化が違う人たちが一挙に集まったのがウィーンです。そういう国際都市で、都を目指してやってきた芸術家たちというのは、周りにライバルがひしめいているわけですよね。ライバルを押しのけて自分が上に行くには、うんと切磋琢磨しなければいけない。故郷ではナンバー1でいられても、ウィーンで首位に上がることはものすごく大変で、そのためには切磋琢磨が必要でした。また、周囲の人との対立もありましたが、場合によっては協力も得られました。例えばモーツァルトとサリエリはライバルでしたけれども、映画「アマデウス」とは違いまして、サリエリはモーツァルトに非常に協力もしています。そうした芸術家同志の交流によって、ウィーンの芸術は華開きました。様々な民族がいる国際都市だったからこそ、繁栄することができたのです。それもパリのように産業革命などを通じてお金のために人がやって来るというよりも、ハプスブルク家のもとに自然に人が集まってくるという感じでした。そういう中で培われてきた国際性のようなものは、現代にも受け継がれています。今のウィーンは小国オーストリアの都ですが、オーストリアは中立国であり、ウィーンに国連があることを見ても、その国際性をおわかりいただけるのではないかと思います。まさに、ニューヨークよりも何百年も古い国際都市だったからこそ華開いたアートというものがあるのではないかと思います。

水谷:音楽もあり、美術もあり、都市としての面白さ、歴史もあり、見るところも感じるところもあるということですね。

小宮:今回の「ウィーンアートナイト」では、ミラノ、プラハ、ベルリンなどから、ウィーンに入りますね。面白いのは、ミラノやプラハは、言語は異なりますが、もともとハプスブルク家の領土でしたので、ある意味の共通性があります。ベルリンは、ドイツ語を話している地域なのですが、随分違います。寧ろ、ミラノやプラハの方が、ウィーンとの親和性や共通性をすごく感じることができます。ベルリンは非常にモダンな街で、歴史から見ても300年くらいのうちに成長し、そして第2次大戦で完全に破壊された後に東西分裂があってという街です。ドイツの中でも急成長を遂げた街で、ウィーンのような何百年もの歴史がある街とは本当に随分違うという印象を受けます。昔、オーストリアとプロイセンはライバル同士でしたけれども、そうしたことは都市を見てもわかり、オーケストラの音の違いを聴いてもわかることが面白いですね。

国連連合ウィーン事務局が入る国際センター
©Wikimedia Commons

ウィーンの美術の魅力

水谷:最後に、先生は美術のお話もよくされていますが、先生のお好きな美術作品についてお聞かせ願います。

小宮:そうですね。美術史美術館ですと、変わった絵なのですが、16世紀に活躍したアルチンボルドの絵が大好きです。果物とかをくっつけて人の顔にしちゃったみたいな絵です。あの時代の人の発想力ってすごいですね。パーツだとあれだけ精緻な梨とか林檎なのに、全部くっつけるとシュールな作品になるということを、シュールレアリズムが出てくる何百年も前に実践しているということがすごいです。まともな絵を描ける人なのに、あそこまでやったということが面白いですし、人も少ないので大好きな場所です。また、美術史美術館にはクンストカンマー(美術工芸室)という、王侯貴族が蒐集した珍品を集めたフロアがあります。日本だとそうした珍品は、どちらかというと色眼鏡で見られがちですが、美術史美術館では目玉として展示されています。この時代のアートのあり方、今の博物館や美術館が見失いがちな「遊び」とか「面白さ」とかを、美術史美術館は率先して展示している点が興味深いのですが、こちらはかなり人が多いので見るのが大変です。美術史美術館以外で個人的にとても好きなのは、「ベートーヴェン・フリーズ」です。壁画ですから絶対に他所では見ることができません。また、昔、クリムトが住んでいたヴィラが最近修復されて公開されていて、すごくいいところです。私は改築前に行きましたが、こんなに静かなところで描いていたのだと、その静けさがいいですね。

アルチンボルド「夏」
ウィーン美術史美術館
©Wikimedia Commons

クリムト・ヴィラ
©Wikimedia Commons

水谷:来年はマリア・テレジアの生誕300年という年でもあり、ウィーンでも様々な催しがあるようですが、小宮先生と共に、ウィーンの、オーストリアの、そして音楽の素晴らしさを体験できるツアーを企画しているところです。お話の続きは是非現地でお聞きしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

対談を終えて
左:小宮教授
右:弊社音楽の旅担当 水谷社員

左上から時計回りに
フーベルト・クロイザマー(第2ヴァイオリン)、ウェルナー・ヒンク(第1ヴァイオリン)、
ハンス・ペーター・オクセンホファー(ヴィオラ)、前任の故フリッツ・ドレシャル
(今回の出演はヴォルフガング・ヘルテル(チェロ)となります。)
写真提供:EMCJ

小宮先生執筆中の本『親愛なるコンサートマスター殿!──ウィーン・フィルの思い出』 語り:ウェルナー・ヒンク/構成・訳:小宮正安 2017年春刊行予定 アルテスパブリッシング 元コンサートマスターだからこそ語れる、ウィーン・フィルこぼれ話 バーンスタインとの心あたたまるやり取り、カラヤンのカリスマ的エピソード、そして幻の指揮者クライバーとの共演。団員が自ら運営するウィーン・フィルならではの、曲決めからコンサート当日の舞台裏の話も披露。室内楽がオーケストラ奏者にあたえる影響とは? 本当の意味で伝統を守ることとはどういうことなのか? ヴァイオリンとの出会いからコンサートマスター就任、引退した現在まで。チャーミングなエピソード満載の1冊。
特別な夜・想いでの夜 ウィーンアートナイト 2017年3月17日、ウィーンのシェーンブルン宮殿に近いホテルパークシェーンブルンの舞踏の間にて、ウィーンアートナイト(ウィーン市観光局後援)を開催します。ウィーンの洗練された美術と音楽を味わう感動のひと時をお過ごしください。初めに東京大学名誉教授・姜尚中氏による美術の講演をお聴きいただき、世界最高峰のアンサンブル「ウィーン弦楽四重奏団」のコンサートをお楽しみいただきます。まだ、感動の余韻が覚めやらぬ中で夕食会へと続きます。 17:30~ 東京大学名誉教授:姜尚中(かんさんじゅん)氏の講演 21:00  終了

ツアー予告

2017年9月にウィーンを小宮正安先生と巡るツアーを企画予定です。

ウィーンアートナイト全8コースはこちらから♪

投稿:首都圏発海外旅行担当