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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2019年01月28日

旅のサイドストーリー ~旅人の心に添う 秘湯は人なり~ 第12回 宍戸康裕さん(白布温泉・東屋)

≪上杉家が残した温泉文化を守る≫

白布(しらぶ)温泉・東屋(山形県米沢市)

宍戸 康裕(ししど やすひろ)さん

直江兼続、上杉鷹山らゆかりの湯、白布温泉・東屋。江戸期に上杉家の米沢藩とともに育んできた独自の温泉文化を館主の宍戸さんが語ります。

私の宿、白布温泉・東屋は、1312年に鎌倉幕府の御家人・佐藤宗純が開湯したと言われています。幕府から「湯司」の下文を受けたという記録も残っています。

時代は変わって関ケ原。西軍について敗者となった上杉家は、石高を120万石から30万石、4分の1に減らされて米沢藩が誕生しました。ところが上杉家の執政・直江兼続は、家臣団をリストラせず、人里離れた山奥で秘かに鉄砲を作り始めました。因縁の家康への反撃を狙っていたとも言われていますが定かではありません。

その鉄砲を作る場所として選ばれたのがこの白布温泉でした。東屋はこのとき兼続に協力し、上杉家の信頼を得て大きく拡充され、一般の人にも広く来てもらえるよう、藩の保養所に指定されました。

宍戸 康裕さん

やがて江戸中期に米沢藩は深刻な財政危機に陥りますが、9代藩主の上杉鷹山(ようざん)が、兼続を手本に藩政改革を行い、藩を復活させた話はご存知かと思います。

その鷹山公はこの東屋を度々訪れていたようです。木綿の服を着て、一汁一菜の食事を取り、時として身分を明かさずに農作業を手伝ったとか。きっとこの東屋のお風呂に浸かりながら、家臣だけでなく地元の農家の皆さんと、気さくにおしゃべりでもしていたのではないでしょうか。

そんな歴史の温泉宿を私は引き継いだのですが、世紀が代わる2000年、もらい火で東屋は全焼。茅葺き屋根の家屋だけでなく、先祖から伝わる家具、骨董品等のほとんどを失ってしまいました。絶望のどん底にあった中、たった一つだけ残されたものが、兼続や鷹山も入浴し、400年以上も使われている歴史の生き証人の滝風呂でした。

直江兼続や上杉鷹山も入浴したといわれる「滝風呂」

何とか宿を再建しなければいけない、しかし宿は国立公園にあり、消防法の規制もあって、再建は困難を極めました。県とは何度大喧嘩したか数知れません。何とか意地だけで歯を食いしばり、滝風呂を残したまま再建させることができました。そんな時に「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」、鷹山公の残した言葉は心の拠り所になったものです。

石垣に囲まれた露天風呂

温泉宿はそれぞれの地方の文化を担っている重要な拠りどころです。例えば兼続公や鷹山公が作りあげた米沢藩と白布の温泉文化は、他の地方には無いものです。12ヶ月中7ヶ月が寒い米沢。湯華が舞い続ける42℃の熱いお湯を、身分を問わずに宿泊入浴も、日帰り入浴も楽しんでもらう。そんな宿があってもいいと思っています。一度宿を失いかけた私だからこそ余計にそう思うのです。

(取材・構成 朝日旅行/旅と文化研究会)

 

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投稿:首都圏発国内旅行担当