出発地を選択してください。出発地はいつでも変更できます。
出発地を選択してください。
×
MENU

機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2019年01月07日

旅のサイドストーリー ~旅人の心に添う 秘湯は人なり~ 第9回 後藤英男さん(高峰温泉)

≪標高二千㍍の宿の、知られざる物語≫

高峰温泉(長野県小諸市)

後藤 英男(ごとう ひでお)さん

後藤家代々の苦難の結晶・高峰温泉を継いだ四代目の後藤英男さん。火災全焼、父との奮闘による再建、そして秘湯の会・岩木氏との出会いで学んだものとは?

高峰温泉は長野県小諸市、高峰山を望む二千㍍の稜線上に立つ一軒宿です。今に至るまでは四代に渡る歴史がありました。

祖父の初代・後藤音吉は明治35年に宿の完成目前までこぎつけましたが、大きな土砂崩れで流され、やむなく山を後にしました。戦後、祖父の二代・後藤一と父の三代・後藤克己は遺志を継いで同じ場所に登り、自力で掘削して温泉を引きました。苦労して建築資材を運び上げ、初代の夢であった温泉宿を、五十余年の年月を経て開業させたのです。昭和31年のことでした。

後藤英男さん

 

二千㍍の稜線上にたつ高峰温泉

私はこの宿で四代目として生まれ育ちました。両親は宿の運営で忙しく、小学生になると姉と二人で学校のある小諸の町に住み、子どもたちだけで自炊をしていました。週末は宿に帰れましたが、日曜の夜に両親のもとを離れるのが辛かったものです。

昭和53年、私が高校2年の時です。ボイラー室からの出火で宿が全焼してしまいました。途方に暮れる間もなく、父は今の場所での再建を目指しましたが、資金が足りなかったため、源泉から宿までのパイプ埋設工事を父と二人で始めました。当時は奮闘を続ける父を助けたい一心でした。

高峰温泉の歴史を語る、先代の後藤克己さん

気の遠くなるような四年あまりを過ごし、昭和58年に念願の再オープン。私は高校を卒業して22歳になっていました。しかし客足は遠く、たった一組での貸切がざらにありました。見かねたお客さんが紹介してくれたのが、日本秘湯を守る会でした。

会の創始者・朝日旅行会の岩木一二三氏が宿を訪れた際、高山植物の宝庫・池の平湿原をご案内したのですが、「花の名前を知らずして、人の心が分かるか! 来月また来るから、それまでに全部覚えとけ!」といきなり雷を落とされました。

宿のガイドによる池の平湿原の自然観察会

一か月間、必死になって覚えました。後になって理解しましたが、岩木氏は花の名前云々ではなく、高峰温泉で生まれ育った私ができることで、旅人を感動させろ、生き様を伝えろと言いたかったのでしょう。

私ははたと気づき、学んだ知識で毎日、池の平湿原ガイドツアーを実施しました。次に、小さな頃から星空ばかり眺めていた私ならではの、星空観望会を催しました。苦難の時に父とよく腰かけた思い出の高台に、野天風呂をこしらえました。

高峰温泉の代名詞、標高二千㍍・雲上の野天風呂

振り返ってみると、宿の目玉となっている数々のイベントや野天風呂はすべて、岩木氏に触発されてでき上がったといっても過言ではありません。当時教えられた旅の心髄は今でも色あせることはありません。

 

日本秘湯を守る会の会員宿に宿泊するツアーをご紹介します。詳しくは画像をクリック♪

pgtitle01

 

 

 

投稿:首都圏発国内旅行担当