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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2019年12月23日

来年2020 年「ベートーヴェン生誕250 周年」 ~現地ウィーンでゆかりの地を巡る《旅の楽しみ》~

 

 

Profile

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あいはら きょうこ
相原 恭子(作家・写真家)

慶応大学卒業。ドイツ政府観光局勤務・ドイツ語通訳を経て、ヨーロッパと京都を中心に取材、執筆、撮影を続ける。「ドイツ地ビール夢の旅」(東京書籍)、「ドイツビールの愉しみ」(岩波書店)、「京都 舞妓と芸妓の奥座敷」(文藝春秋)、「舞妓と芸妓のうちあけ話」(淡交社)、「Geisha– A living tradition」(Carlton Books UK, /英語・フランス語・ハンガリー語・ポーランド語)など著書多数。NHK・E テレ、ラジオ深夜便、ハンガリー、エストニア国営放送など内外のTV・ラジオ出演多数。国際交流基金や日本大使館の主催でエストニア、スペイン、ハンガリーで写真展・講演会が開催。HP、ブログ、Facebook などネットで公開。

 

活躍の舞台はウィーン

 

1770年12月16日、ボンに生まれたベートーヴェンは、22歳から1827年3 月26日に56歳で亡くなるまで、ウィーンで暮らしました。彼のゆかりの家は50以上あります。様々な点で「普通の人」ではなかった彼は近所と折り合いが悪かったこともありますが、作曲中のメロディーが盗作されないように引っ越したとも言われています。

 

ハイリゲンシュタットの 「ベートーヴェン・ミュージアム」

 

ベートーヴェンゆかりの地で第一の観光スポットといえば、周囲に何軒かホイリゲもある「ベートーヴェン・ミュージアム」ではないでしょうか。彼の髪の毛やデスマスク、ピアノ、補聴器などが包括的に展示されています。

ベートーヴェンは31歳の時(1802年)に難聴や健康状態の悪化などを苦に、この家で遺書を書きました。奇しくも、多くの著名な作品を世に出したのはその後のことです。

ウィーンの森に属するこのあたりはデブリンクという緑豊かで、ブドウ畑に囲まれた長閑な地域。19世紀には芸術家や著名人が集まりました。現在も高級住宅街があります。シュライバーバッハという小川が流れる「ベートーヴェンガング」という散歩道を歩くと、交響曲「田園」(1808年)のメロディーが心に浮かびます。第二楽章の小川のほとり、鳥の声などは、この辺りの情景からインスピレーションを得たとされ、まさに癒しの風景です。

 

周辺に残るベートーヴェンの家

 

周辺には「グリルプファルツァー・ハウス」や「ヌスドルフの家」、現在はホイリゲになっている「ベートヴェンハウス マイアー・アム・プファルプラッツ」があり、歩いてまわれます。ホイリゲ以外は私邸のために中へは入れませんが、ヌスドルフの家の貸主は後に、ベートーヴェンがピアノを弾く晩にはたくさんの人々が集まり、庭へ出ると彼の演奏が聞こえてきて、夜じゅう庭で聴いていたかった、と書き残しています。ピアニストとしても偉大だったベートーヴェンの様子がうかがえます。

 

ウィーンの街なかのゆかりの地

 

ウィーンの町なかにある「セセッション館」では、クリムトが「ウィーン分離派」の第14回展(1902年)のために制作した「ベートーヴェン・フリーズ」を見ることができます。近くにある「テアター・アン・デア・ウィーン」は、ベートーヴェンが1803年~1804年に暮らし、オペラの一部分やクロイツェルソナタを作曲しました。フィデリオなどの作品が初演されたのもこの劇場です。

地下鉄「ショッテントーア」駅の近くのメルカー・バスタイにある「パスクヴァラアティハウス」は、この辺りに住みたいと望んだベートーヴェンに、友人であったヨハン・ベネディクト・パスクヴァラティ男爵(1777 ~ 1830年)がこの建物の4階(日本語で言う5階)を提供しました。ベートーヴェンは窓からプラーターが見たいと言い、さらに窓を増やしたかったそうです。眺望のよい明るい部屋を好んだのは彼の意外な一面かもしれません。

ここからゆっくり散策しながら15分程で、ベートーヴェンの最期の家「シュヴァルツシュパーニアハウス」に至ります。老朽化のため1903年に取り壊され、1904年に再建され、非公開です。

この家で彼は1827年3月26日に56歳で亡くなりました。葬儀は家から約500mのアルザー通り17番にある「三位一体教会」(アルザー教会)で行われ、棺は大行列を伴って葬送されました。寒い日でしたが、当時のウィーンの人口の約1割にあたる約2万人が参列しました。現在は中央墓地に眠り、各国の観光客など多くの人がベートーヴェンの墓を訪れています。私が訪ねた日は、供えたばかりのお花がありました。

 

カリスマ性もある大音楽家で隠し子も居た?!

 

さて、「不滅の恋人」へのベートーヴェンのラブレターは有名ですが、宛名が書かれていませんでした。このため「恋人とは誰なのか?」という議論がありますが、近年の研究ではブダペスト近郊のマルトンバーシャールの伯爵家の令嬢で、ベートーヴェンにピアノを師事していたヨゼフィーネ・ブルンスヴィックであったという説が有力視されています。さらに、1813年4月8日に生まれたヨゼフィーネの娘ミノナの父親は、ベートーヴェンであるという見
方が研究者の間では強いそうです。

困窮の中で亡くなった苦悩の英雄ベートーヴェンというイメージがあるかもしれませんが、取材してみると、実は生前からカリスマ性もあり、貴族など富裕層のパトロンが多く、折しも出版ブームが始まり楽譜はたくさん売れて、収入もかなりあったと言われています。

このように没後も色々に言われる大人物。本人は天国でどう思っているのでしょうか?そんなことを考えながら、記念すべき年にウィーンを歩き、音楽を聴くのはこの上ない楽しみです。また旅したい、と書きながら思いました。

 


≪関連ツアー≫

ウィーン・フィルによるベートーベン生誕250周年記念演奏会
楽聖ベートーヴェンの道 8日間

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楽聖ベートーヴェンととて も縁の深いウィーン。生誕 250年を祈念する特別プロ グラムが、世界最高峰のコン サートホール“楽友協会大 ホール《 黄金の間 》”を舞台 として組まれました。春のウィーンでベートーヴェン縁の地を巡り ベートーヴェン一色に染まるツアーです。

出発日:2020年5月22日(金)/6月2日(火)    目的地:オーストリア


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投稿:WEB管理担当