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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2018年04月20日

旅のサイドストーリー ~旅人の心に添う 秘湯は人なり~ 第2回 佐藤好億さん(二岐温泉・大丸あすなろ荘)≪後編≫

秘湯となった私たち≫

二岐温泉 大丸あすなろ荘(福島県岩瀬郡天栄村)

佐藤 好億(さとう よしやす)さん

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二岐温泉 大丸あすなろ荘

初対面の日、朝日旅行の岩木一二三さんに衝撃的な言葉で迎えられてから、私たち山里の一軒家の宿主たちは、まるで岩木学校の生徒にでもなったかのように、彼の旅と宿の哲学に惹かれていきました。

そして「秘湯」となって熱い思いに燃える私たちは、5万分の1の縮尺地図を見ながら、全国津々浦々の人里離れた1,200か所の小さな温泉宿を秘湯の宿候補として選び、加盟のお願いに回りました。ところが、「不便で小さな宿だと思われるので、秘湯とは呼ばれたくない」と、固辞する宿主も少なくありませんでした。

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そんな中、1975年(昭和50年)4月、上野精養軒で「日本秘湯を守る会」は創立されました。わずか33軒の加盟宿での船出でした。
2年後、個々の宿では作成できなかったパンフレット代わりに、岩木さんが取材執筆した紀行文を集めた冊子『日本の秘湯』を刊行。その後、加盟数は徐々に増えましたが、宿はそれぞれに個性的で、規模も一様ではなく、一筋縄ではまとまりません。定期的に勉強会や会合を開き、苦労話を聞き合い、励まし合い、笑い、酒を酌み交わしながら交流を深めました。単なる宿泊施設ではなく、地域の文化財としての誇りや、人間性を回復させる活動、という思いを共有できからこそ、厳しい環境や経営状況を共に乗り切ることができたのだと思います。
やがて80年代に秘湯ブームが到来、今では温泉に関する情報は膨大となり、「秘湯」という言葉もすっかりと一般化した感があります。会への加盟宿も現在では169軒にまで増えました。故岩木さんが発した昭和40年代の予言通り、国内旅行の中心は団体旅行から個人旅行へと移り、世の中では価値観の多様化、核家族化、人口の大都市集中が進み、「癒し」という言葉もよく耳にするようになりました。旅のスタイルも物見遊山だけではなく、旅先での人との触れ合いや心で感じるものが求められている傾向にあると思います。
最近では「秘湯」を目的に宿を訪れる方が増えてきています。逆に「秘湯らしくない」、「交通の便が良過ぎる」などという声も耳にします。時代は常に変わり続けますし、人々が好む宿や食事や温泉も時代とともに変わることでしょう。今でこそ秘湯ブームと言われて久しいですが、いずれどうなるか分かりません。でも旅をしたいという人間回帰、自然回帰のようなものは変わらないと思います。私たちは、そんな人々を心で応えるような宿でありたいというのも、今でも変わらないことです。
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佐藤 好億さん
今、日本は高齢化社会に突入し、地方の過疎化が加速度的に進んでいます。山奥の自然環境や荒廃を食い止めるのは、ますます難しい時代に入っていくでしょう。日本秘湯を守る会を立ち上げた当初の仲間たちも少なくなってきましたが、どんなに歴史があり、景色がよく、温泉があっても、そこでそれを守ろうと雪かきに汗するような次の人材が育たなかったら、やがては秘湯も消えてなくなってしまいます。
次の担い手にどうやって秘湯という地域の文化財を守ってもらうかが、この先の会の活動の根幹だと思っています。大げさかも知れませんが、秘湯を守ることは、地域の里山だけでなく、日本の自然環境を守ることに繋がると考えています。そのためには宿を訪れる人との心の交流も必要です。秘湯の担い手には、色々な思いを胸に宿を訪れる人の心根を思い、宿とはどうあるべきか、宿を取り巻く自然はどうあるべきかを考え続けてもらいたい。時代は変わっても、岩木さんの残した言葉は色褪せることはないと思っています。
  「旅人の心に添う、秘湯は人なり」

 

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投稿:首都圏発国内旅行担当