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機関誌「旅なかま」掲載記事など最新のトレンドがわかるブログ

旅のアクセント

2019年02月15日

《特集》いま、縄文が熱い!

いま、縄文が熱い!



著保内野遺跡(北海道函館市) 出土の国宝・中空土偶(画像提供:函館市)

 

近年開催される縄文関連の展覧会はどこも盛況だ。
いったい何がそこまで人々を引き寄せるのか?
はるかな時を経てもなお訴えかけてくる熱情の源とは?
激しさと美しさを併せ持つ出土品や遺跡を通して感じたい。
そう、今、縄文が熱いのだ!

 


国重要文化財・遮光器土偶 (画像提供:つがる市教育委員会)

 

「縄文人」の情熱と思いを探して


今からおよそ1万6000〜1万3000年前から2900〜2300年前、実に1万年以上も続いた時代が存在した(放射性炭素年代測定法や理学的研究方法の進化により、ひとつの発見から時代の枠が大きく動くので、今後も年代定義は変わるかもしれない)。

小学校の社会科で習った、竪穴式住居に住み、粗末な布や毛皮をまとった長髪と髭の風貌、狩りや漁をする男たちと傍らで土器を使って調理する女たち――私たちがイメージする縄文時代の様子は、今日では随分と様変わりしている。青森県の三内丸山遺跡からは、多数の土器や土偶とともに、大きな掘立柱建物や大型の竪穴式住居の跡が見つかった。さらには道路や墓地の跡、編物や装身具なども出土し、数百人もの人々が1500年もの長きに渡って定住していたことが判明したのだ。これらの遺物から、彼らは高度な建築技術を持ち、文化的な生活を営んでいたことがうかがえる。

考えてみれば1万年以上である。後の弥生時代から現代までがおよそ3000年程度としても3倍以上の年月が流れていることになる。その間、気候や地殻変動をはじめとした様々な環境変化に適応するために進化を続けたとしても不思議ではない。その時代時代を生き抜くための工夫や進化が時代を創ったのである。


国宝・仮面の女神 (画像提供:茅野市尖石縄文考古館)

 

教科書から消えた?


日本史では、旧石器時代の後に縄文時代があり、以降、弥生、古墳、飛鳥の各時代が続いていたものだが、一時期、小学校の教科書から縄文時代が消えたことがあった。今考えてみると、縄文時代は、その長さの割に簡略された内容だったと記憶しているが、日本史の始まりが弥生時代からというのはやはり違和感がある 。ゆとり教育と内容の厳選による措置とも聞くが、もし縄文人がこれを知ったら激怒するかもしれない。その後紆余曲折あり、現在では再び復活して記載されているが、日本人のルーツを辿る上でも、文化発展の段階を考える上でも、やはり縄文時代ははずせない。石器時代にはなかった、土器を使って煮るという調理方法の進化。利便性の良い土地に定住することで可能となった栽培による定期的な食糧確保。そして建築技術の高度化による生活様式の変化と稲作など農耕生活のはじまり。これらが縄文時代晩期までにすでに形作られたものだとしたら、日本人、いや人類の進化上、きわめて重要な時期であったといえそうである。


国宝・縄文のビーナス (画像提供:茅野市尖石縄文考古館)

 

縄文人からのメッセージ


文字のない時代は史料がなく、ひとつの発見で歴史が大きく変わる。驚きと想像力を掻きたてられる瞬間だ。土器や土偶は時を越え、その形だけでなく縄文人の情熱と思いを主張する貴重な証言者なのだ。例えば注目を集める火焔型土器は、雪国の自然や風土、食文化と加工の知恵が形となって表現されたもので、今日まで続く日本人のモノづくりや発酵文化のルーツとなっているとは考えられないか。不可思議な形をした土器や土偶に魅かれるのは、形の芸術性ではなく、当時の基準的な造形自体を美と感じる独特な感受性が日本人には備わっているからかもしれない。激しさと美しさを併せ持つ縄文土器を見た感動を、かつて岡本太郎はこう表現した。
「なんだ、これは!」
後に彼は美術雑誌『みずゑ』誌上で「四次元との対話――縄文土器論」として、それまで考古学的見地で語られることが多かった縄文土器を、造形美としての美術的見地のみならず「土器の存在」そのものを哲学的な解釈で表現した。彼もまたメッセージを受け取った一人だったのだ。

我々の心の奥深くに根付く感情や感覚が、実は縄文時代にすでに形成されたものだとしたら、その造形やファッション性の波長が巡りめぐって現代と呼応するのは当然のことなのかもしれない。時を越えて届けられる縄文人からのメッセージが気にならないはずがないのだ。
(構成=朝日旅行 旅と文化研究会)

 

東日本の主な縄文遺跡
●入江・高砂貝塚[北海道洞爺湖町]
●大船遺跡[北海道函館市]
●三内丸山遺跡[青森県青森市]
●亀ケ岡石器時代遺跡[青森県つがる市]
●大湯環状列石[秋田県鹿角市]
●馬高・三十稲場遺跡[新潟県長岡市]
●笹山遺跡[新潟県十日町市]
●与助尾根遺跡[長野県茅野市]
●大森貝塚[東京都品川区・大田区]


大船遺跡[北海道函館市]


与助尾根遺跡[長野県茅野市] (画像提供:茅野市尖石縄文考古館)

 

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縄文時代を知る手がかり 縄文土器と土偶に迫る

縄文土器

笹山遺跡(新潟県十日町市)出土の火焔型土器 国宝

縄文時代に作られた土器で、その多くが多様な縄目文様やリズミカルな印象の幾何学文様を施されたものである。以前は縄文式土器と呼んでいたが、今日では縄文土器とするのが一般的である。地域によっては縄文文様を持たないものもある。その形や装飾が多様なことから様々な場面で使用されたと考えられるが、主に調理や盛り付け、食料の貯蔵などの日常での使用のほか、祭祀にも用いられていたと考えられている。

調理道具として考えた場合、深鉢、浅鉢、瓶など、その基本形は現在もさほど変わらない。しかし、これほど丁寧に凝った造形の鍋を作った時代があっただろうか。特筆すべきは信濃川流域で多く発掘された火焔型と言われる土器だ。大きな4つの突起をもち、どこを持てば良いのか、安定性も使い勝手も悪そうである。しかし、じっと見つめていると、パチパチと火のはぜる音や取り囲む人々の会話、そして温度や匂いまでもが漂ってきそうだ。

巧みに組み込まれた顔らしき造形や動物らしき顔、一筆書きでなぞりたくなる複雑な文様・・・「ここまでやるか!」と思わされるほどの装飾も、縄文後期になると影をひそめていく。

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土偶

馬高遺跡(新潟県長岡市)出土の土偶 重要文化財

縄文土器と同様に、出土地域や年代によって様々な様式が見られるが、簡単な造形で目と鼻、口が表現された、人間をかたどった土製品で、特に乳房や臀部を誇張した女性を表すものが多い。日本全国から出土しているが、西日本出土は少なく、東日本出土が大部分を占める。女性型が多いことから、農作物の豊饒や子孫繁栄、命の再生など自然への畏敬を表した、当時の重大な精神的テーマを示したものであると考えられている。また、完全な形で出土することは少なく、故意に破壊したと思われる例も多い。祭祀での災厄払いに用いられ破壊されたものと推測される。

レントゲンによる分析では、頭、腕、足などパーツ毎に造られたものを接合するという方法が用いられているものもあり、高度な設計技術と炎の加減調節の巧みさを持った縄文人は、熟練技術者「匠」でもあったのだろう。その大きさや厚み、造形のバランスは様々だが、縄文土器とはまた違う専門の技術者がいたのではないかと想像は広がる。

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関連遺跡をめぐる「気になる縄文ツアー」は
こちらより

 

2019年2月発行「総合パンフレット」に掲載しています。

 

パンフレットをご請求ください。(デジタルパンフレットもご覧いただけます)

◎首都圏版はこちらより

◎関西版はこちらより

投稿:大阪発国内旅行担当